2020年9月16日に誕生した菅義偉内閣の目玉施策のひとつとして、「行政手続きにおけるハンコ廃止」が上げられる。
この担当(行政改革担当相)に命じられたのが、「ごまめの歯ぎしり」ブログで有名な河野太郎議員で、その動きは実に早かった。
河野大臣の動き
すでに9月24日には、全省庁に対して行政手続きで印鑑を使用しないよう要請し、使う必要がある場合は理由を今月中に回答するよう求める事務連絡を出している。
河野行革相 行政手続きで印鑑廃止を全省庁に要請 押印必要なら「月内回答を」(毎日新聞) – Yahoo!ニュース
さらにその夜、追い打ちをかけるように、民放TVで次のようなことまで言ってのけた。
『どうしてもはんこを使わなければいけない』と言ってこないものは、10月1日からはんこなしにする。用紙にはんこの欄があっても無視していいことにする
(引用元上記記事)
これを強権発動と見る向きもあるかもしれないが、こうしたたぐいの強権発動ならむしろどんどんやるべきだろう。偉そうにふんぞり返っている官僚組織を動かすのが、国民の投票によって負託を受けた大臣の本来の仕事なのだから。
これに対して世間は当然ながら「支持」が大多数で、河野大臣のツイッターを始めとしたSNSなどには多くの激励コメントが寄せられていた。
その後9月30日には、次のように中間報告をツイッターで行っている。
11省庁から回答が来た時点で、行政手続き上ハンコの存続が必要だという手続きは、数件のみ。法律に押印が規定されているというものがほとんど。
https://twitter.com/konotarogomame/status/1311233874425384962
行政手続き上の押印廃止について各省ほぼ出揃いました。銀行印が必要なものや法律で押印が定められているものなど、検討対象が若干ありますが、大半は廃止できそうです。
https://twitter.com/konotarogomame/status/1311245109074079744
要するに、法律で押印を規定されているもの以外は基本的に不要になる見込みということだ。
国家公務員たる官僚の労働コストはそのまま国民の納めた税金であり、その運用コストの最小化は当然ながら常に求められる。むしろ行政のムダを省くことこそが公務員の仕事なのに、それをろくに行わず蓄積してきた結果が今回の騒動であるといっていい。
この自己組織の保身と肥大化は、かつて中国の国家に寄生して国を滅ぼしてきた「宦官」と同じことをしているとも言える。
自治体への波及効果
この中央省庁での行政手続き上の押印廃止の動きは決してここだけに留まらない影響力を持っている。
日本という国はよくも悪くも上に倣えで、官僚組織で行っている習慣は、自治体組織に波及する。
この波及効果は大きく、すでに都道府県、市町村でもハンコ廃止の動きが散見され、特に福岡市などは3800種類の書類について脱ハンコが完了したと公表している。※もちろん以前から実施してきた自治体もある。
福岡市、行政手続きの“脱ハンコ”完了 市単独で見直せる3800種類全てで(ITmedia NEWS) – Yahoo!ニュース
これにより「行政手続きでのハンコ廃止」が、各自治体での行政改革のアピールポイントや判断指標となった。
今後、おそらくムダな行政手続きでのハンコ廃止はさらに大きな動きになっていくだろうと思われる。これこそが期待されるところではなかろうかと思う。日本全体の公務員組織で一体どれくらいのムダなハンコ押印作業が残っているかと考えると、想像するだに恐ろしい。
文書の裏にある稟議/決裁フローの改善
もっと大事なのは、こうした押印を必要とする行政文書の裏側に隠れている業務フローの改善効果である。
押印文書は、「印鑑を押す押さない」について各階層での権力が発生してしまう。
- ハンコ押すからには俺を納得させろ → 根回しの発生
- 俺は納得してないからハンコを押さない → 中にはわざと「逆さ印」にすることで、自身の意思表明にするバカな風習まである
- あいつが押してから俺のところにもってこい → ハンコを押す順番などで権力争いが生じ、バカな順序が発生してしまう
- 担当/管轄じゃないが俺にもいっちょ噛ませろ → 押印欄の増加(後でごねると面倒くさいからあの部門にもハンコ押させろ等も同じ)
- 上位階層で修正が発生すれば一からやり直し
まるで「部長のお茶はこの専用茶碗で茶托と蓋も忘れずに。お湯はぬる目で濃い目に淹れるのよ」などOLの間で引き継がれていた過去の馬鹿げたお茶くみとそっくりである。今やオフィスでのお茶くみは自販機やコーヒーメーカーの役割となりほとんど駆逐されたと思うが、ハンコ押印文化は根強く残ってしまっている。
こうして、「ハンコを頂く」ことが稟議申請者にとっての負担となり、それを如何に上手く円滑に運用するかが組織内での腕の見せ所になってくる。馬鹿な話で、当然ながら国民や自治体市民には無関係な話であって、真っ先に削減されるべきものである。
どうしても押印が必要な文書についても、ハンコを電子押印システムに置き換えることで、”ハンコを押さない人(フローを止めている人)”が可視化され、おまけに”自分のところに回ってきてからどれくらい保留していたか?”すら可視化することも可能だ。
上長は可及的速やかに判断を下すことが仕事なのに、偉そうにふんぞり返って「俺様にハンコ押させるのは大変だぞ」的な空気を出すのは、まったく本論ではない。ましてや民間企業ではなく公務員組織でこうしたことを延々と行ってきたのだから、税金の無駄遣いにほかならない。
日本の労働生産性が他の先進国に比べて驚くほど低いことは常々指摘されてきたが、それの原因の一端がこうしたバカげた手続きと裏に隠れた業務フローにあったことは否めない。
今回の行政手続き上のハンコ廃止は、こうした副次効果が期待できる。今後も強力に推し進めてほしいと思う。
余談
この一連の動きに敏感なのがハンコ業界で、さっそく業界や個別店舗、しまいには山梨県知事までがクレームをつける騒ぎになっている。
ハンコ文化を破壊するものではないというのは河野大臣自ら言っていることであり、むしろ「ハンコ廃止」と縮めて誤解を招こうとしているのはマスコミが主体ではなかろうか。やはり何をさておききちんとした報道組織を持つことが急務だと再認識させられる。
前にもツイートしたけれど、行政の手続きにハンコはやめようと言ってるのであって、ハンコ文化は好きです。 pic.twitter.com/1GFKCsxfT5
— 河野太郎 (@konotarogomame) September 23, 2020
封蝋とかも。あれ、ちょっと煤が… pic.twitter.com/BPUu530Wqm
— 河野太郎 (@konotarogomame) September 23, 2020
日本には、中国文化を見習った蔵書印などの文化が根付いており、これについては今回の行政手続き上のハンコ廃止とは無関係なのはいうまでもない。
また民間企業もこの動きにある程度は影響を受けるだろうと思われるが、契約文書などを主として、今すぐにハンコが一切なくなることはありえない。ただし、全体としての電子化(電子押印化・電子承認化)は戻せない流れではあるため、業界は生き残りをかけて新規事業(ビジネス用途以外)へと歩みだすきっかけとする必要があるとは思う。
改めて書いておくと、ハンコ業界保護のためだけに国民の税金たる”官僚・自治体職員の労働時間”をムダに消費することが許されないことは言うまでもない。
余談2:デジタル手続き法
そもそもこうした動きは今回が初めてではなく、すでに「デジタル手続き法(情報通信技術を活用した行政の推進等に関する法律)」(平成十四年法律第百五十一号)という法律があり、当初、法案には法人設立時の印鑑義務や本人確認時の押印の廃止が盛り込まれたが、ハンコ業界が反対運動を繰り広げた結果、関係条項が削除されたという経緯がある。
今回、河野大臣がやや豪腕といえなくもないやり方で進めているが、それは呑気にやっていると再び業界団体の陳情を味方につけた官僚の大反対で頓挫しかねないから、と見ることもできる。それくらい、官僚組織というものは頑固に抵抗するのだとわかっておく必要がある。
SNSなどを見ていると、無知な人が無邪気に「ハンコなくして何が変わるの?」などというゆるい反対意見を述べているが、そうした無知・無関心が国税の無駄遣いを生み出し、許し、蔓延させ、ひいては国際競争力を低下させてきたことに気づかなければいけないと思う。
もちろん国民(ひいては全国自治体)にとっても行政の無駄削減は以前からの念願なので、内閣が生まれ変わり勢いのある間にがんがん進めて欲しい。官僚や業界団体も、河野大臣のフォロワー数を見ればそうそう簡単に反対運動を繰り広げることも難しいだろうと思う。