眞子さま報道で考えたオールドメディアの危機

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一連の眞子さま報道において、従来のオールドメディア(マスコミ)がある種の危機を迎えていると感じたのでメモしておく。

※本来小室圭氏と結婚された後は一般人となったため慣例に従って「眞子さん」とすべきだが、ここでは前後の出来事をまたがって記すため、私が主体となり記述する文章では煩瑣を避けるために「眞子さま」で統一する。
※会見全文ソース:【全文】眞子さん 小室圭さん 結婚記者会見での2人の発言 | 皇室 | NHKニュース
※回答全文:【回答全文】小室眞子さん・圭さん記者会見 質問に対する回答全文

メディアのいう「我々」とは

問題だと感じたのは、眞子さまが婚姻後に行った26日の会見内容に対するマスコミの反応である。

ここで眞子さまは

圭さんのすることが、独断で行われていると批判され、私の気持ちを考えていないといった一方的な憶測が流れる度に、誤った情報がなぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、謂れのない物語となって広がっていくことに恐怖心を覚えるとともに、辛く、悲しい思いをいたしました。

と述べ、さらに小室圭氏も

この数年間、誤った情報があたかも事実であるかのように扱われ、誹謗中傷が続いたことにより、眞子さんが心身に不調をきたしたことを、とても悲しく思います。

と述べている。

これを聞いた国民の多くはこれらが指している「主体」はいわゆるマスコミ一般であると捉えた。もちろん一般人が小室氏や関係者に直接話を聞くことなど出来ず、眞子さまに至っては近づくことさえ許されないためだ。一般の国民は、特に皇室報道においてはマスコミを通じて知るほかない。

ただし、その後の「謂れのない物語となって広がっていくこと(眞子さま」「誹謗中傷が続いたことにより(小室圭氏」の主体はネットを通じた一般人の可能性もあるためぼやけている。

しかし今日になってのマスコミの報道では、一言で言えば「ここで述べられている主体は我々ではない。」といっている。どういうことだろう。いつもの「加害者ではない」という逃げなのだろうか?

しかしよくよく話を聞いていると、「我々」と言っているのはいわゆる地上波と大手新聞社の人間であって、そこにはいわゆる女性週刊誌などが含まれていないことに気づく。

※当然「そんなのは大手マスコミの建前であって単なる逃げだよ」というご指摘もあろうかと思うが、今回それはさておくとする。

問題となった質問の内容

ここで昨日の会見で紙ベースで回答した5つの質問を見てみると、「宮内記者会質問」が3問続き、その後に「日本雑誌協会質問」の1問、さらに「在日外国報道協会質問」が1問となっている。

眞子さまが会見での直接回答ではなく文書での回答を決めたのはこのうち「日本雑誌協会質問」の1問であったとされており、事実その質問への回答が他の回答に比べて異常に長いことがわかる。その質問は次のような一文から始まる。

今回のご結婚は、秋篠宮さまが望まれた「多くの人が納得し、喜んでくれる状況」には至らないと判断されたことから、関連儀式は行われないことになりました。「納得と祝福」が広がらない理由には、1、小室さんの母親の金銭トラブルが解決されていないこと、2、小室さんの経歴に“皇室利用”と受けとめられかねない事柄があることだと考えます。

そもそも冒頭のこの一文からして一方的に決めつける内容(”広がらない”、”皇室利用”)が含まれており、眞子さまの

この質問は、誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねない質問であると思います。

という回答は尤もだと言わざるを得ないところはある。

納得・祝福する状況に至らないと、いつ・誰が判断したのか?その判断と儀式の有無は関連があるのだろうか?誰だかよくわからない「宮内庁関係者」とやらが判断したのだろうか。少なくとも政治家は関与しておらず、判断するものと言えば皇室関係者か宮内庁しか考えられないが、正式な文書での通達があったとは聞いていない。全てがなあなあのうちに曖昧に進んできた印象しかない。その曖昧模糊とした理由を探っても仕方がない。とは思うが当の質問はそれを「前提」として続く。

一般人としてもおよそ皇室の会見にあまりふさわしくない、いわば政治家に対するゴシップ的な質問だと感じる内容である。

日本雑誌協会とは?

ではこの問題となった質問をした日本雑誌協会とはいかなる組織なのだろうか。

HPによれば

一般社団法人日本雑誌協会は、「雑誌」の出版を通じて文化の発展を期するため、出版倫理の向上を図り、その他「雑誌」共通の利益を擁護することを目的として、昭和31年1月30日、雑誌出版社の有志30社によって結成された。

と書かれているが、今回の皇室報道関連においては、要するに「女性○○」といったいわゆる女性週刊誌だと思って問題ないようだ。

宮内庁記者会見では通常「宮内記者会」にしか声がかからず、これには大手新聞社や地上波で皇室報道を担当する記者が属しているという。今回の会見では、皇籍を離れて一般人となった後の報道であるためか、「日本雑誌協会」及び「在日外国報道協会」が追加されたようだ。

なお、何名かの皇室コメンテータの発言により、「日本雑誌協会」の質問の内容は事前にマスコミ関係者にも知らされず、会見場において回答書が紙で配布された時点で知ったようだ。事前に穏やかではない質問が投げかけられることが予想されたのだろうが、実際には宮内庁及び関係者しかわからなかったという。

慎重を期すためにやや回りくどい書き方をしているが、結局のところ眞子さま及び小室圭氏が警戒する対象としているのはこの「日本雑誌協会」なのだろうということが薄々わかってくるし、一般人としても日々のゲスいニュースを見ているにそれはあたっているのだろうと思われる。

要するに「品位がない」「最低限の節度を守らない」ということだろう。今回の一連の結婚報道では積極的には関与していないだろうと思われるが、例えば時事ネタでの「東スポ」的な存在だと言ったほうが話が早い。

眞子さまが口頭での回答を拒否して11分あまりで席を立った原因は雑誌各誌にあり、大手新聞社からすれば我々は原因ではないというわけだ。

ただし一般人からすればその区別など知ったことではなく、こうした存在を許してきたのも「マスコミ村」だろうと言いたいところではある。

ネット媒体上でのマスコミの認知

しかし今回の騒動で明らかになったのは、こうした従来は、暗黙のうちの「格」により分けられてきたマスコミ各社が、ネットを媒体として流通する上において格差なく扱われるようになったのだということをと改めて感じた。

当初グーグルなど大多数のネットアクセスを独占したネット大手がネットニュースを始めた際に、大手新聞社などは激しく抵抗した。「マスコミ」としては当然だろう。自ら媒体を支配してきた彼らがそう簡単にその地位を奪われることを良しとするわけがない。自ら媒体を支配し、そこに広告を載せることでメディアとしての存在理由とアンデンティティを保つことができ、自己主張もできるのだ。

しかしそうした抵抗も虚しく、今やそうした独自メディアを維持できているかと言われると相当厳しい戦いになっており、ハッキリ言えば凋落の一途を辿っている。数少ないメディアがネット上でも奮戦し独自メディアたる地位を保っているが、大半のメディアはヤフーやグーグルにコンテンツ(記事)を販売することでなんとか生きながらえている状態になりつつある。

こうした流れにおいて問題になるのは、読者における個別マスコミの認知度の低下だろう。

これまでは各出版社が独自の流通網で、それぞれ紙から字体まで拘って読者のもとに届けてきた。これによって読者は、朝日新聞、読売新聞、週刊誌、雑誌といった個別のマスコミをまさにメディア(媒体)を通じて感じ取ってきた。

大手新聞社はそれなりの紙を用いインクもそれなりのものを使用するが、駅の売店で売られているタブロイド紙になると安っぽい紙にきつい匂いのするインクが使われている。週刊誌なども同様で主に女性タレントが載るカラー刷り部分はともかく、その後のコーナーになると露骨に紙の質は落ちるし読みづらい。

が、今や若者はそもそも新聞紙を定期購読しておらず、雑誌を手に取ることが習慣づいてるものも少なくなっており、むしろ大半の情報をスマホ上のネットニュースで読む状態になっている。

それで起こる一番大きな変化は「ソース(記事発信元)を認知しないまま報道を受け取る」ということだ。若者に、眞子さま報道をどこで知ったか?と聞いても、「ヤフーニュース」あるいは「スマートニュース」「LINEニュース」などとスマホアプリの名前しか答えられないだろう。個別記事にはソース(当該記事発行主体であるマスコミ)が記載されてはいるが、それをわざわざ確認する人など少数だろう。スマホ内の記事には手触り感もなくインクの臭いもない。まさに記事の中身(コンテンツ)にしか価値がないのだ。

※これを逆手に取った数少ない成功者が「文春オンライン」で、”文春砲”の名で度々センセーショナルな記事によって認知度を上げ、さらには独自運営サイトでの読者囲い込みまで成功しているという。今やゴシップ記事といえば文春が定着した。すでに2020年5月時点で4億PVを超えており、同じ出版社系の「日経電子版」や「朝日新聞デジタル」も上回った時期もある。

 

ネット上での差別化の難しさ

こうして発行主体である個別マスコミ社を認知することなくニュースを受け入れた一般国民が増え続け、個別マスコミの認知度はますます低下している。今回の一連の報道でも、たとえ記事を読んだにしろどこが報道したか?ではなく中身にしか興味がなかった人が大半だろう。

こうした状況下において、マスコミが「我々は週刊誌や雑誌とは違うのだ」といったところで、そもそも若者の多くは「週刊誌」の実物すら見たことがないながらも記事を目にしているのだ。

今回の眞子さまの回答にしろ、「宮内記者会」と「日本雑誌協会」及び「在日外国報道協会」を区別している人など極少数だろう。大半の読者は「マスコミの質問にゲスいのが混じってたから眞子さんが怒って口頭での返答を拒否した」としか受け取っていない。中には個別の質問にすら興味がなく、「マスコミが(いつもの如く)ゲスい質問で眞子さんを怒らせた」としか認識していない人もいるだろう。

大手マスコミのいう「我々」と、受け取り手である読者の間にはこれほど認識の差ができているのだ。

この傾向はこれからも進行し続け、マスコミをメディアと認識しないまま報道内容を受け取る若者は今後も増加していく。スマホアプリ上では、言わば東スポの記事でも朝日新聞の記事でも対等に扱われてしまう。そこでは大手新聞社ソース記事だからといってゴージャスな格式の高そうな表示になったりはしない。実際問題、現在行われている政治報道でもそれらのニュースソースによって内容にどれほどの品位の違いがあるというのだろう。論旨も問題点提示もしないまま言葉汚く罵り煽るだけの報道をむしろ大手新聞社も喜んで行っているようにも見える。

従来は「所詮は女性週刊誌だから」「東スポだから」「あんなの信じるのはバカだから」。「我々高尚なマスコミは彼らゲスメディアとは違う」などとそれら一部雑誌やタブロイドとその読者を見下すだけで溜飲を下げていたのだろうが、すでに大手マスコミさえ媒体としての存在理由はなくなりつつあり、見下していたはずの雑誌などと同等の地平においてコンテンツのみで判断される世の中になっている。そもそも若者の間で、東スポと朝日新聞を明確に区別できている人がどれほどいるのだろう?というよりなぜ私があえて東スポと何度も名前を出すのかすらわからない人も居るのではないだろうか。

もっと早くにマスコミ全体としての品位を保つべく、自浄努力を続けるべく業界全体として行動すべきだったのだろうが、そうしたツケは間違いなくマスコミ自らが払わされるようになる。いや既に払わされている。今さらそれを読者にせいにしようものならそっぽを向かれ、今度は自らの存在理由すら失ってしまいかねない。

かつてスマホによりネットが人々の手に行き渡り始めた時、オールドマスコミは”メディア(媒体)”としての地位を失うという危機が囁かれた。その危機は現実のものになりニュースソースでしかなくなったが、まだギリギリ名前=誇りは残すことが出来た。それが進んだ今、その名前すらネットしか見ない人の間では区別されなくなりつつある状態が第二の危機ではないかと思う。

今回の眞子さま報道を通じてそういうことを考えさせられた。

例えば政治家の記者会見でもわざと時間切れの退室時を狙って大声で叫びながら糾弾する輩がたびたび出現する。特に小池知事の記者会見で多い。聞けばこれも正当に記者会見場への出入りを認められている”記者”なのだという。しかし普通に見ればアジテーターか革命家の類でしかなく、恐らくは本人もそう自認しているのではないかと思われる。記者会はこうした人間を追い出すことなく、むしろ政治家を叩くための必要悪として利用してきた側面がある。ただし一般人はそうした人を区別せず、彼らもマスコミ村の一員であって彼らマスコミ村もその存在を認めているとしか認識しない。今回の眞子さま報道でも同じ構図で進行し、あの類例のない異常な記者会見へと突き進んだと見ていいだろう。止めるすべもなく5問と設定された中で1問を割り振られ、品位を考慮しない質問を提示し、そして拒絶するという結果となった。”品位”というと小室氏こそそうなのだと言い訳するだろうが、だからといってマスコミ側まで品位を落としていてはダメに決まっている。
蛇足だが念の為に書いておくと、今回のご結婚については賛成も反対もない。既に一私人となった元内親王には、できれば幸せを掴み取られるよう願うが、それは既に個人の努力の範囲になったと思う。また小室家が抱える問題についてもここでは関係がなく触れるつもりもない。
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