こども家庭庁がバカな調査をやってたらしい。
こども家庭庁が結婚をテーマに行った調査で、未婚の人のおよそ7割が「結婚相手を見つけたくても、何をすればいいか分からない」「自分に自信がない」などと回答しました。
まあそりゃそうだろうという感想しか出てこない。
職場で異性に声をかけようものならセクハラ認定で、下手すれば職を失う恐怖まである。もっともそれ以前にコミュニケーションとしての飲み会などもアルハラであり、なおかつ社会全体に飲み会強制自体がどうなのか(費用は会社持ちなのか?時間外手当は出ないのか?)という議論まである。※そもそも結婚相手に異性を前提とすることすらタブーになりつつあるという笑い話でもある(もちろん同性間でもセクハラは成立しうるし、異性はともかく同性間の不同意わいせつ容疑や強制わいせつ容疑もよく見る)。別の日本生命によるアンケートでも「“飲みニケーション”不要が半数超え 直近3年間で最多」(一昨年54.4%→去年55.2%→今年56.4%)らしい。
「セクハラにならない会話で自然に仲良くなればいいじゃない」という意見があるかも知れないが、全員にそんなスキルがあれば誰も困らないし困ってはいないだろう。実際アンケートでは7割弱の人が困っているのだし、それはほぼほぼ多くの人の実感なのではないかと思われる。ましてやこれだけ日々マスコミで取り上げれば、意識してこなかった人まで意識せざるを得ない状況になるのは当たり前だとも言える。すでに大半の職場は純粋に仕事をして帰るだけの場になっている。ブラック排除で残業もないが仕事終わりのちょっとした飲みすらアルハラになる恐れがあるから(異性・同性問わず)よほど仲の良い関係性でなければ声もかけづらく直行直帰するしか無い。まさに金のための労働場所でしか無い。
しかしセクハラ認定は主にフェミ界隈から、またアルハラ認定は若者世代からの声であり、多くの未婚の日本人が求めた結果なのだろうが、その結果できあがった社会が未婚の人を苦しめているのではないか?という当たり前の調査をして当たり前の結果が出たとしか思えない。
※びっくりするほど文章の読めない人が絡んでくる可能性があるのでお断りしておくが、私は何も元の社会が懐かしいだとか、元へ戻せと言っているわけではない。(コロナ前後で社会が大きく変容したように)すでに社会がこう変わった以上大きく戻すことは難しいだろうし、強く生きてほしいと思っている。社会生活が大きく変わった時代に起こっている現象を観察して感想を書いているに過ぎない。この駄文を書いたことで社会が変容してほしいとかましてや人に影響を与えたいとか、そういう目的を持ったものではない。
それでアンケート結果がこうらしい
「結婚相手を見つけたくても具体的に何すればいいのかわからない:67%」、「(結婚相手を見つけるに当たり)自分に自信がなく行動したところで見つけられると思えない:66%」。。もうね、そりゃそうだろうとしか言えない。もっとも既婚の人にも聞いていて意図がよくわからないが。不倫推奨?
多くの人にとって一番きっかけとなって声をかけやすいのが(自社、客先問わず)職場だろうが、それが禁止されれば、会社以外のコミュニティに属していなかった人や、新たに属するのに戸惑いがある人はなおさら二の足を踏むことになるだろう。
※そもそも会社は人事が一定の基準で絞り込んでいる(会社の所属メンバーの人間性・雰囲気に合わない人間は将来のトラブル回避のために弾いている)ため同じ属性・水準・嗜好の人が集まりやすいので当然。その人の仕事ぶりや生活態度や金遣い、飲酒・喫煙の度合い。その他職場での評判などの諸情報も入手しやすい。もちろん年収もほぼわかる。さらに職場は「同じ目的のために力を合わせての協力作業をすることも多い」のでこれもまた然り。不純な見方をすれば自然と距離が近くなる仕組みとも言える。
そういう異性関係に苦手意識を持っている人が、結婚相手探しに何らかのコミュニティに所属するなんてとても考えられないだろうし、ましてや婚活アプリを入れて積極的に探そうなんてのも色々トラブルが報道されているのでそこにも踏み込みづらいし、最初からそういう目的で行動するというのも気恥ずかしいのが先に立つだろう。
逆に積極的というか追い込まれている人は、「婚活アプリ」で頑張って相手を探すという話も以前見たことがある。その人は女性で、婚活アプリで候補男性をざっと20~30人洗い出したうえで、一人ずつ面談というか面接?して学歴や収入や性格、趣味やお金に対する考え方、身長や体格、髪型などを含めた外見のメモなどをヒアリングしてそれをExcelシートにまとめていっていた。もちろん(折半するにしても)お金もかかるし時間も莫大に使う(30人1回2時間ずつだとしても60時間も必要)。そもそも真面目に婚活しているかどうかや、結婚に対する考え方、ペースや時期感的なものの違いもあるだろう。彼女は非常に疲れているといっていた。当たり前だろう。
あくまで私が個人的に考えるに、これはすでに恋愛ではない。まさに「婚活」以外の何物でもない。果たしてその先にある結婚生活がうまく行くんだろうかという余計で無駄な心配をしてしまう。大河ドラマでは、やれ「昔の女性には自由恋愛の権利も奪われ、自分の意志に反して親に勝手に決められた相手と無理やり結婚させられていた!(性差別だ的な文脈で)」などと毎回繰り返しているが、見方を変えれば現代社会でも自由恋愛などできていないと言えるのではないか?その上、親が決めるのではなくひたすら自分で活動して決めなきゃいけない。仕事以上に大変だろうし気疲れするだろうと思う。親(第三者)が決めれば責任をそっちにぶつけることもできるが、自分で決める以上失敗はすべて自分に返ってくる。
※ふと思うが、婚活して得た家庭で、赤ん坊は妊活で作って、子育ては育活(いくかつでへんかんできたことにびっくりした)でとなると、一体何のためにやっているのか私にはよくわからなくなってくる。次は不倫活でもやるんだろうか?そして終活である。なんでもかんでも定義して基準を作って「活動」する時代なのだ。
この女性は結婚に対してとても熱心なだけであって、現代の若者はこんな話を聞けば「タイパ悪すぎて無理(とてもできない)」と言うだろう。私でもそう考えるだろうと思う。しかも必死で婚活したところでその相手とうまくいく保証なんてどこにもないのだ。それならまだ自由恋愛してた時代のほうが幸せだったんじゃないだろうか。
※この反論として「自由恋愛でも結婚生活がうまくいくとは限らない」という指摘が予想されるが、自由恋愛の結果の生活・人生ならば、それはそれで自分の人生として十分満喫したのではないだろうか。反面、すべて「~活」で進めていると「自分の人生だ。充実した人生だった」と言いづらい部分が出てくるのではないかということである。それとも「”~活”がすべてうまくいった人生だった。成功率は95%」とでもなるのだろうか?もっともこれはあまり深く掘ると人生論、人間論になってしまいかねないが、なぜそこまで苦労して「相手を見つけたい」のだろう?人は果たして何のために生まれてきて、何のために生きているんだろうか。何のために「~活」するのだろうか?親のためか?社会的体面のためか?子を成すという生物としての本能故か、人生のリスクヘッジのためか。諸条件が揃ったからと言ってその人を「好き」になるとは限らないのではないのだろうか。逆に諸条件が揃ったからと言って好きになれるもんなのだろうか?そもそも現代の若者は「相手を見つけたい」という願望がそこまで強いのか?考えすぎか。
こども家庭庁の分析がまた笑う。
今回の結果についてこども家庭庁は、自治体が行う結婚相談事業などが十分に知られていないことが背景にあると分析していて、今後、周知を図るなど、取り組みを強化することにしています。
一周回って結婚相談所に戻るらしい。しかも官製。
少し前にブラックユーモア的なTVドラマで官製結婚相談所的な物があったように思うが、すでに笑い話でもなんでもなく現実的な話になっている。もうご近所づきあいなどは廃れてしまってむしろ警戒されるレベルになっているだろうから、「仲人おばさん」的なものも期待できないので官製でやるしかないのだろう。
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