アンジャッシュ渡部建さんの華麗なる一族

2017年、女優の佐々木希さんと結婚したお笑い芸人アンジャッシュ渡部建さんは、実は華麗なる一族に連なる人です。

NHK「ファミリーヒストリー」で取り上げられていたので詳しく見てみましょう。

母方「梅本家」の系譜

まず母方からです。

渡部さんのお母さんである恵子さんは、旧姓を「梅本」といいます。

恵子さんの父母は、梅本正倫さんと「とね」さんの夫妻で、その子どもたち(渡部さんの叔父・叔母)もみなエリートです。

長兄:梅本章夫

長兄・梅本章夫氏は、昭和9年(1934年)生まれ。

東京大学卒業、東京銀行の元副頭取まで務めた人物です。その後、アメリカン・エキスプレス・インターナショナル日本社長を務めています。

次兄:梅本彪夫(あやお)

次兄・梅本彪夫氏は昭和10年(1935年)生まれ。

九州大学卒業、TBSの元常務取締役。

長女:靖子

長女の靖子さんは昭和12年(1937年)生まれ。

日本航空で客室乗務員を務めました。

現在はジンメルマン・靖子さんといい、アメリカで暮らしているということです。

次女:恵子

アンジャッシュ渡部建さんのお母さんです。昭和14年(1939年)生まれ。

福岡で大手保険会社に就職しています。のち東京で渡部新次郎さんと出会うことになります。

三兄:梅本茂夫

三兄・梅本茂夫氏も昭和40年(1965年)に九州大学経済学部を卒業し、富士紡績に入社。

1996年に取締役(フジボウアパレル社長兼任)、2000年2月から常務、2001年6月に社長に就任しています。

母方「梅本家」のルーツ

梅本家のルーツは、奈良県吉野にあるといいます。

渡部さんの祖父である梅本正倫氏の戸籍によれば、その本籍地は「奈良県吉野郡下市町大字」となっており、本籍地の隣りにある浄徳寺によれば、梅本家は昭和の初めまで隣に住んでいたといいます

さらに驚くべきことは、浄徳寺の山号は「梅元山(ばいげんざん)」といいますが、この「梅元」つまり、”うめもと”は、梅本(うめもと)姓から取ったというのです。

梅本家の先祖が今から約530年前に建立したのが同寺だということです。

このことは、お寺のホームページにも由来が詳しく書かれています。

梅元山浄徳寺と梅本氏
http://www.jyoutokuji.com/rekisi3.htm

梅本氏は、もと熊野八庄司の一つで、吉野庄司與逸正綱と称し、十津川村五百瀬に住んでいた。第三代九良の時、後醍醐天皇が吉野に皇居を移されるにあたり、吉野郡内の有力な郷士の長を八名召し出され、旗を下賜され行在を守護させて八旗八荘司と呼んだ。九良もその一人である。

第九代右衛門佐正善は、荘司(小路)で閑居し、邸宅を山上の大林城から下(現在の浄徳寺北側)へ移したと思われる。そして、正善は蓮如上人の大和巡錫の教化を受け、善南の法名をいただき1484年邸内に一庵を設け、浄徳寺を設立した。また、邸内に梅の老樹があったので村の人は梅本と呼ぶようになり、浄徳寺は梅元山といった。

しっかりと書かれていますね。※強調、下線は引用時にいれたもの

つまり、鎌倉時代に吉野庄司を務めていたのが梅本氏の先祖である與逸正綱であり、後醍醐天皇が足利尊氏と戦って破れ奈良吉野に南朝を開いた頃、その3代目の與逸九良が「八旗八荘司」に選ばれ、後醍醐天皇を護ったということになります。

※與逸氏は元々は紀伊国熊野の出身ということです。

その9代目の與逸正善が現在の寺地へと移り住み、蓮如上人の大和巡業の際に一向宗に帰依してのち邸内に寺(念仏道場。現在の浄徳寺)を開き、また土地の人々は邸内に梅の老樹があったために「梅本さん」と呼ぶようになったというのです。

その後、戦国時代になっても梅本家は続いており、江戸時代に入って武士の身分は剥奪されたものの一帯の小路村の代官を務めたといいます。

その後、河川工事などを行った功績が認められ、梅本家はふたたび武士の身分へと戻っています。

梅本本家

寺のホームページには、次のように書かれています。

現在、本家は東京都に、分家は生駒市に転住しており、小路には不在である。

恐らくこの本家筋にあたるのが渡部さんの母方の家系で、長兄の梅本章夫氏(渡部さんの伯父)は東京で暮らしているといいます。

その証拠に、長兄の梅本章夫氏の家には、いまも先祖から伝わったという甲冑があります。この甲冑は江戸中期~後期の作であり、武士身分に返り咲いた頃に製作したものとされるといいます。

祖父と祖母の出会い

渡部建さんの祖父正倫さんは、明治34年(1901年)に梅本馨とヒデの間に生まれており、大正12年(1923年)には京都帝国大学へ入学しています。卒業後、満州へと渡った正倫さんは、南満州鉄道株式会社(満鉄)に入社します。当時としてはエリートコースだといえます。

満鉄は日本が満州を支配するために設立した巨大企業で、その事業の中には工場や鉱山経営までを含んでおり、祖父正倫さんはその鉱山部門である撫順炭鉱へと配属されています。

経理や人事などを担当した祖父正倫さんは、昭和8年(1933年)に職場近くの喫茶店の看板娘、藤田とね(渡部建さんの祖母)さんと出会い、恋に落ちます。藤田とねさんは福岡の女学校を卒業後、親戚の経営する満州の喫茶店を手伝っていたといいます。

2人は翌昭和9年(1934年)に結婚し、次々と7人の子供に恵まれ、さらに昭和12年(1937年)には正倫さんは庶務課長へと昇進しています。

昭和20年(1945年)にはソ連軍が撫順に侵攻、さらに中国共産党軍、国民党軍などが侵攻。経営者が変わる中、梅本正倫は日本人の代表として交渉を行ったといいます。

昭和22年(1947年)に日本本土へ引き上げ、一家はとねの実家のある福岡で暮らし始めています。様々な職を転々としながらも昭和26年(1951年)に持病の喘息が悪化し、若くして死去。

この後、梅本家は母ひとりで7人の子供を育てる苦労を背負いながら、子どもたちは立派に成長し、企業経営者を勤めるまでになったのです。

父方「渡部家」の系譜

いっぽう渡部建さんの父、渡部新次郎氏は、昭和11年(1936年)に長崎で生まれた人です。

元々、渡部新次郎氏の父渡部重男さんが長崎県本紺屋町の問屋街で履物屋(下駄問屋)を営んでいました。

三菱重工の長崎造船所を見て育った新次郎氏は、将来技術者になる夢を見ますが、終戦で長崎の町は焼かれ、親戚の家に疎開しています。原爆が落とされた時、新次郎氏は疎開先から8キロの道を歩いて家族を探しています。

長崎西高校を卒業後、昭和30年(1955年)に九州大学工学部に入学、電気工学を学んだといいます。卒業後は東京芝浦電気(現在の東芝)に入社。府中工場の設計部で設計に携わっています。

父と母の出会い

30歳のときに見合い話が持ち上がり、そのお相手が、満州から引き上げて来ていた梅本恵子さんだったのです。

昭和42年(1967年)にお見合い。その年に2人は結婚しています。

昭和43年(1968年)に長男の寛さん(渡部さんの兄)、昭和44年(1969年)に長女の優子さん(渡部さんの姉)、そして次男の渡部建さんが昭和47年(1972年)に生まれます。

のち鉄道部門へと配属された父の新次郎氏は、新幹線やリニアモーターカーの設計にも関わったといいます。技術畑一筋であった新次郎氏は、退社するまでに50以上の特許に関わっています。

渡部建さんは、その後大学へ進学。二年生だった平成5年(1993年)に児嶋一哉さんと出会い、お笑いコンビ「アンジャッシュ」を結成します。

毎回感心しますが、人にはいろいろな人生があるものですね。

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