世界人権宣言

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最近、やたらと「世界人権宣言」とやらを目にするようになった。

どうも日本が世界の難民をもっと受け入れて救うべきだという議論において、絶対無敵な宣言としての位置づけで利用されているらしい。

その理念は大いに結構だと思うし、世界基準で見れば裕福な方だと思われる(また軍事支援などで貢献できない)日本は、できればその分野で世界に貢献すべきだろうとは思う。

ただ実際問題、島国である日本に難民としてたどり着き生き延びるというのは(陸続きや小舟でたどり着けるような国との比較で)並大抵の努力では済まない。まずクソ高い航空運賃が出せるのなら難民になどならないだろう。また日本語を母国語として育ってこなかった人々が、ほぼ100%日本語しか話さない民族の間で生き抜くのは大変だろうと思う。

そうして難民として、あるいは普通に帰化申請が通って帰化している方々も多数いるが、今、政治問題化している難民申請をしている人たちが、どこまで日本に愛着を持って帰化しようとしているかは甚だ謎だし、むしろそれを生業にしている政治活動家にうまく利用されているだけにも見える。

もしそうであるとすれば倫理上大問題だし、それは日本を民主的手続きで転覆させようと目論む諸外国からすれば非常に好都合であることから、いわば外患を日本国内に誘致している輩とさえ見えてしまう。

 

閑話休題、タイトルの「世界人権宣言」だが、最近ツイッターなどでこれを盾に日本も難民を保護すべきだという意見を見るが、実際世界を見渡してこの宣言を完全履行している国などほぼ無いと言っても良いんじゃなかろうか。難民受け入れに積極的だった北欧諸国も、最近では悪化する治安状態や、経済状態を理由に難民の受け入れに消極的になっている。

そもそも彼らが目指した大ヨーロッパすら、イギリスが離脱するという結末を迎えたのだ。しかも加盟しようとする動きが反発を買い、侵略戦争までおこってしまった。民主的手続きに基づいた世界統一による世界平和など夢のまた夢なのだと言う他無い。

結局夢や理想だけでは食っていけないのが現在の世界状況だ。日本だって、世界標準で見れば裕福だとは言いながら、高騰する燃料費や物価高に庶民は日々の生活にも苦しんでいる。理念の前に日々の暮らしが大事なのはどこでも、いつの時代でも同じで、それは21世紀の日本でも違いはないということだ。

 

この「世界人権宣言が」云々という見るたびに思い出すのが、小松左京の『日本沈没』だ。

自分以外にはあまり響いていなかったのか、どうも検索しても発言者すら見当たらない。

小説の下巻、いよいよ2年以内の日本列島の沈没(経済の話ではない。日本列島の大半が物理的に海没するか、あるいは住めなくなるという意味での沈没)が現実化し、日本人は「永久に」日本列島を離れて逃亡する必要性が出てくる。そこで渡老人は、見識者3人に日本の未来を探り、今後の日本民族の生き方について方針を建てるよう依頼する。

総理の厳命を受け渡老人を迎えに来た邦枝は、その3人が七転八倒している場に誘われる。

 

※下線は引用者が入れた。

「あんたもおいで……」と、老人は邦枝のほうを振り向いていった。

廊下を鉤の手にまわっていくと、植え込みに半分隠された離屋が見えた。渡り廊下を渡ってはいっていくと、四畳半の控えの間をへだてて、十畳の部屋があった。隣にもう一つ、八畳らしい部屋があって、境の襖が五寸ばかりあいている。

(略)

「おそらく半数近く、死ぬことになりまっしゃろうな……」と、福原教授は、口調だけは低く淡々とした調子でいった。「生き残りの人たちも……辛いことになるでしょうな……」

「三つにわけなすったか?」老人は卓上の封筒を見ていった。「そうか──」

「地域別ではなく、ケース別に分けてあります……」福原教授はちょっとのどに痰を絡ませながらいった。「一つは──日本民族の一部が、どこかに新しい国をつくる場合のために、もう一つは、各地に分散し、どこかの国に帰化してしまう場合のために、もう一つは……世界のどこにも容れられない人々のために……」

「ユダヤ民族の場合は、あまり参考になりますまい……」と僧体の人物が、瞑目したままいった。「ユダヤの民二千年の、漂泊の体験が、この島国の民、二千年の、閉ざされた降伏な体験と、すぐにおきかえられるとも思えません。ディアスポラののち、何年たって、何を学び取るか……それまで、日本人は、まだ日本民族であり続けるかどうか……」

(略)

「その、三番目の封筒の中には、別にもう一つ封筒がはいっていて、それには、ちょっと極端な意見がはいっています……」と僧侶はいった。「実をいえば──三人とも、その意見に落ちつきかけたのです。しかし、それでは、この作業の趣旨にまるであわんので、特殊意見として別にしました」

「つまり──何もせんほうがいい、という考え方です」福原教授は、しゃっくりを一つしていった。「このまま……何の手も打たないほうが……」

そんな!──と邦枝は衝撃のあまり、全身が鳥肌だつのを感じながら、のどの奥で叫んだ。──それでは、日本民族が……一億一千万の人間が、全部ほろんでしまってもいい、というのか? いったい、この学者たちは、何を……。

「そうか──」渡老人は、膝の上に手をおき、卓上の封筒にむかって、上体を傾けた。「やはり──そういう考え方も出てきよりましたか……」

「そこが──日本人が他民族と決定的にちがうところかもしれません。そういう考えが出るというところが……」僧侶は薄目をあけて自分にいうようにつぶやいた。

「あなた方三人──その考えが出たとき、ご自分たちの年を考えたかな?」

老人は鋭い目を二人に向けた。

「はあ……」と福原教授は、また外の景色に目を走らせて、低くいった。

「花枝……こっちへ来なさい」と、老人は部屋の隅にすわった娘に合図した。「この娘をよく見てください。──二十三じゃ。まだ男を知らん。みずみずしい、未来のある娘じゃ。こういう娘たち……あるいは子供たちのことも考えたかな?」

「はあ……」と福原教授はいった。

邦枝は、いつのまにか、膝においた手でズボンの布をぎゅっと握りしめていた。その掌にじっとりと汗をかいているのがわかった。脇の下にチリチリと冷たいものがにじんだ。この人たちは……何という恐ろしい……。

「いずれにしろ、それは、極端な考え方です……」僧体の人物はまた瞑目していった。「しかし──そこまで考えないと、全部の場合を考える基本的な姿勢が出てこなかったのでな……」

「まとめた考えは、全体として、世界に──日本以外の国々に、何も求めるな、何も要求するな、ということが基本になっています……」福原教授の声は、低く、かすれてきた。「外の世界は──まだ、日本が、何かを求められるようにはできていない。この地球上の人類社会は、まだ一つの国民が、自分たちの国土以外の所で生きる権利を保証されるようになっていない。……そして、その状態は、まだ長く──かなり長く続くだろう、というのが、基本的な認識です。国土を失った日本民族は、世界のあちこちの隅を借りることになるだろう。……だが求めて得られなければ──無理に要求してはならない。生きるにしても、自力で生きなければならない……」

 

ここで遂に邦枝は抑えることができず叫んでしまう。

「世界人権宣言が……」たまりかねて、邦枝は口走った。「……人間として、存在する以上、生きる権利を、いかなる政府にも……」

「宣言は宣言にすぎない……」福原教授はつぶやくようにいった。「そして、人類の一人が人類社会全体に要求できる権利などというものは、残念ながら実体としてまだ形成されていまへん。一国の国内における、政府と国民間における権利、義務の関係さえ、まだ形成されてから、わずかしかたっとらんのやから……」

「生きのびたとしても、子孫は……苦労をするじゃろうな……」老人は首をゆっくりうなずかせながらつぶやいた。「日本人であり続けようとしても……日本人であることをやめようとしても……これから先は、どちらにしても、日本の中だけでは、どうにもならない。外から規定される問題になるわけじゃからな……。”日本”というものを、いっそ無くしてしまえたら……日本人から日本を無くして、ただの人間にすることができたら、かえって問題は簡単じゃが、そうはいかんからな。文化や言語は歴史的な”業”じゃからな……。日本の国土といっしょに、日本という国も、民族も、文化も、歴史も、一切合切ほろんでしまえば、これはこれですっきりしておるが……だが日本人は、まだ若々しい民族で……たけりをたっぷり持ち、生きる”業”も終わっておらんからな……」

 

若くて熱意に燃えるエリート官僚・邦枝が抱いていた世界観をもろくも打ち砕く、現実世界というものの重みがずしんと響き渡る名場面である。

ここで邦枝がすがった世界人権宣言とは以下で読むことができる。

世界人権宣言(仮訳文)|外務省

※ただし宣言には、邦枝のいう生きる権利=生存権というものは書かれていないように感じる。宣言で謳っているのは、あくまで人が生れながらにして自由であるということ、また生命、自由及び身体の安全に対する権利を有するのみであって、それを何らかの組織・団体・国家が保証しなければならないとは書かれていない。各国が「国内的及び国際的な漸進的措置によって確保することに努力する」よう、国際連合は当宣言を公布するだけであり、国家に対して何らの義務付けや権利を与えるものでもない。
「そんなものは書くまでもなく当然だ」と憤る人がいるかも知れないが、母国ならともかく他国にいち民間人が要求できる権利などたかが痴れているというのが現実だろうと思われる。そもそもここで書かれる権利と義務の関係論すら、民主主義国家でようやくある程度共有されている価値観であって、一部の社会主義国家ではその権利すら偏った部分的なものであったりする(実際、当時の国際連合でも賛成48、棄権8であった)。だからこそ、国交のある各国には大使館がありそこで母国による保護を受けることができる。言い換えればこの仕組み自体が、母国くらいしか保護してくれないのだという現実をも示している。そうではないと言うのなら、実際に他国に行って、その当然なはずの権利とやらを現地政府に主張してみると良い。否応なく母国である日本に強制送還されるだけだろう。

 

この小松左京の『日本沈没』は1973年に刊行された小説で、まだ民間人にはコンピュータどころか電卓くらいしかない時代である。その時期にこれを構想した小松左京の慧眼はどれほどのものだったかと、改めて驚くとともに、小説として成立せしめた筆力に驚かざるを得ない。

日本列島を失うということはこういうことなんだと、母国(国土)を失った人間がどれほどの権利をいかなる機関に保証され、日々どうやって生き抜いていくのかを突き詰めた上で、それを小説上の登場人物を通して世に問うているとも言える。

※もちろんこの小説のテーマはそれだけに留まらない。当時高速道路は震度7であっても崩壊することはないとされていたが、小松氏は厳密な想定のもとそれが破壊されると描写した。当時批判の声も多かったという。しかし実際阪神淡路大震災が起きると、小松氏が腰を抜かしたほどの小説で想定した通りの事態が起こった。また危機に際して何が起こりうるのか、その時どう動くべきなのかが細かな人間描写とともに描き出されている。

この福原教授の言葉は、現在の世界状況にこそ突き刺さる。「この地球上の人類社会は、まだ一つの国民が、自分たちの国土以外の所で生きる権利を保証されるようになっていない。……そして、その状態は、まだ長く──かなり長く続くだろう、というのが、基本的な認識です。」実際このとおりだろう。日本で難民受け入れ活動している人はそうではならないと叫ぶだろうし、多くの日本人も「それではあまりにかわいそうではないか」と言うかも知れない。

しかしそれはあくまで「自分が安全地帯にいる」からこそ差し伸べられる手でもある。自分の生活範囲内に入ってきた場合もその鷹揚な態度が貫き通せるかというと、難しいのではないか。「じゃあ10万人、100万人を受け入れできますか?日本の人口のたった1%弱じゃないですか。あなたの市町村ではどうですか?どこの地区に何万人いや何千人でいい、どんな体制で受け入れできますか?」となった際に、それを躊躇なく「わが町で受け入れよう」と率先して手を挙げられる人(首長、議員、有権者)はどれだけいるだろうか。10万人規模の自治体で千人程度受け入れと仮定すればマンション数棟が必要になるだろう。特に都会は、もしそんな空き地域があるなら、今より少しでも広い家に移りたいという日本人が大半だろう。ワンルームから1Kに、1DKから2DKに。できれば子ども部屋も作りたい。1人に1部屋ずつは欲しい。そういう希望を難民、移民のために我慢できるだろうか。作中では、広大な面積を持つ(と日本人が思っている)オーストラリアでの”一時的な”移民受け入れのための秘密交渉が描かれる。

実際には、多くの人が甘く考えるような「一時的な」受け入れでは済まない。子供が生まれれば、それはコミュニティに根付いた移民集団となる。世界的に見れば、精神面でも物質面でもかなり均一的な民族集団である日本人と異なり、様々な場面で価値観や求める品質の違いが目立つだろう。買い物からゴミ捨て、労働場所、教育。ありとあらゆる日常生活の場面で、受け入れ難民/移民との衝突が発生するだろう。実際には移民でまとまって住まれるのもリスクがある(これは逆に過疎自治体で高リスクかも知れない)。スラム化したら、伝染病が流行したら誰が手を下すのか。また外国人参政権の問題もある。あなたが今(意識すること無く)持っている権益を、一部手放さなければならない時が来るかも知れない。その時に、いつまで難民第一、世界人権宣言がと言っていられるだろうか。実際それを先んじて行い、治安悪化など厳しい結果が出ているのが北欧だ。しかも日本の国土は限られている。ただでさえ日本人だけでもいっぱいなのに、どこに彼らの居住スペースや集会所、墓地(火葬ではない国もあるし、墓地の様式も異なる)を用意するつもりだろう。限界集落に住んでもらうつもりだろうか?居住可能にする整備費用は誰持ちなのか?水道光熱費やインフラ維持費用はどうやって捻出するのか?もちろん一時的にではなく永久にである。

実際、新しい区画の建売住宅を販売する場合、既存の住宅とそこにつながる道路が網で封鎖されたり、あるいは電柱、排水路、ゴミ捨て場など様々な諸権利を住民間で話し合う必要が出てくるという現実問題がある。「町内会」を作って住民自治を行う必要も出てくる。日本人同士ですらそうなのに、難民/移民相手にそんな面倒なことをどこまでやる/できるつもりなんだろうか。まさか難民だからいつまでもキャンプで生活させれば良いなどと言い放てる人は少ないだろう。

 

作中の邦枝の叫びは、たいていの理想論を信じている人々の叫びでも有るだろうと思う。だからこそ「世界人権宣言が有るじゃないか」とつい自論に援用したくなってしまう。しかし福原教授が言うように「宣言は宣言に過ぎない」のが実情だ。世界人権宣言は1948年の第3回国際連合総会で採択されたが、小説が書かれた1973年時点ですら宣言でしかなかった。しかし21世紀を迎えた現時点でも、悲しいことに相変わらず宣言は宣言でしか無い。それを強制する権力など、どの国際機関にもなく、そもそも理念すら全世界に完全に共有されているとは言い難い。むしろその国際機関自体が自らの活動資金拠出国の顔色をうかがわねば継続できない国際機関の活動すらある。

むしろベルリンの壁が崩壊し東西冷戦が終結した1990年代こそ、その理想に近づいたと人々は思ったろう。ようやく東西の対決は終わりを告げ、世界は一つにまとまっていくのだと。しかしそれから30年、むしろ人々や国家間における利益相反は目に見えて大きくなり、政治的対立は過激化の一途をたどり、むしろ民主主義国家内での政治対立が目立つようになっている。

冷戦時代よりも各地での紛争は目立つようになり、遂には白昼堂々国境線に軍隊を集結させ、宣戦布告無く侵略戦争をはじめる輩まで現れた。しかも彼らが振りかざすのもまた「彼らにとっての正義」であり、その侵略戦争を行う統治者を信奉する輩も多数おり国内での支持も揺るがない。その上、第三国においても政治的スタンス上、その統治者を擁護(ウクライナは領土を割譲して降伏するべきだと主張)する人間まで現れている。

世界人権宣言を出した当の国際連合は、その蛮行を「非難」する決議を出すのが精一杯の有様であり、北朝鮮を見れば安保理の出す非難決議など無力で無意味であることは日本人が一番よく知っている。人々の生存権はむしろ白昼公然と踏みにじられつつある。もっとはっきり言えば、侵略者を擁護する人間こそ、むしろ世界人権宣言を振りかざしているのが現状だろう。侵略者側に援用されている世界人権宣言などちゃんちゃらおかしい。しかし悲しいかなそれが現実世界の有様だと言うしか無い。

 

『日本沈没』はベストセラーとなり、内容はともかく何度も映像化された。あれから数十年経っても、世界はいまだに変化できていないという現実に薄ら寒く感じてしまう。それどころか、20世紀前半を思い起こさせる侵略戦争を行う国まで現れる始末であり、その意味ではむしろ前進などちっともしていないのだと思う。

※引用の最後、渡老人は日本人、日本民族をある種突き放したように第三者的な視点で語っていますが、その意味は小説の最後に語られます。

 


 

蛇足)具体化させるものとして「国際人権規約」があるじゃないかという方もいるかも知れない。

「世界人権宣言」が具体性を欠く(つまりは宣言に過ぎない)という指摘は当時からあり、国連人権委員会は引き続き「国際人権規約」の検討に着手している。しかしこの中で「自由権」と「社会権」を分けるか否かで(主に西側諸国より)議論が起こり、結局、西側諸国の主張する分離案でまとまった。自由権規約は「市民的及び政治的権利に関する国際規約」、社会権規約は「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」である。各規約の概要については国際人権規約 – Wikipediaを参考。

しかも前者(自由権)は締約国に対して即時的義務を負わせるのに対して、後者(社会権)は「漸進的に達成する」ことしか求めていない。いわば努力していれば良い。にも関わらず、アメリカはこの後者つまり「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(International Covenant on Economic, Social and Cultural Rights、ICESCR)については、署名はしたが批准していない。※1966年採択、1976年発効。

OHCHR Dashboardの”Select a treaty”セレクトボックスを”International Covenant on Economic, Social and Cultural Rights”に切り替えるとアメリカ合衆国はSignatoryでとどまっていることが確認できる。

アメリカはその頃にはすでに「ネオリベラリズム」(新自由主義:neoliberalism)の台頭があり、議会やホワイトハウスでも社会権については厳しい態度を取り続けている。要するに(巨大福祉国家的な考え方は)アメリカ合衆国憲法の精神に相容れないとするものである。上記「自由権」と「社会権」の分離案も主にアメリカの主張に引きづられたものであったとされる。

※そもそも日本人は当たり前だと思っている皆保険制度もアメリカでは常識ではない。保険加入率向上を目指したオバマケア(Affordable Care Act)すら共和党は未だに廃止を強く訴えている。実際アメリカでは救急車を呼ぶとクレジットカード(民間救急車で日本円3万円~、公的な物なら10万円を超える)のサインを求められるのが普通で、カゼ(コロナ含む)ぐらいじゃ医者にかからない人が大半である。というか救急車の値段を聞いて腰が引けた日本人がほとんどだろう。
2020年からのコロナ禍でも、この保険加入率の低さが仇となり実に110万人もの命が失われた(日本は7万2千人)。もちろん死者数は世界一。しかしその現状を踏まえてもアメリカでは皆保険に反対する人が多い。そこまでしても自由を求めるのがアメリカ国民なのだ(権利はあくまで自分で掴み取るものであり、そのために自由競争であるべき)。一方民主党の左派が推す「Medicare for All」(カナダや台湾で実施されている保険者が単一の皆保険に似ている)についても、民間保険会社を締め出すという反対意見が多数を占めている。※世界の保険制度については別記事「台湾の「マスク実名販売制度」とそれを支えたもの」で”さわり”を書いているのでご参照ください。

第二次大戦後、国連を中心に世界の人権意識と権利をリードし高めていこうと理想に燃えていたアメリカは、すでに世界的な人権の考え方からすればそれを自由権のみに限定しようという、むしろ後ろ向きなスタンスになってしまっている。発効当時のジミー・カーター以降の共和/民主の両政党の各大統領とも、この社会権問題については進展させることができていない。国際人権法 – Wikipediaも参考

現在の国際社会でも大きな影響力を保持しているアメリカで片方の社会権が批准されていない状況下で、地球上であまねく人権が担保されているとは言い難いのではないかと思われる。もちろん両条約を批准していないのはアメリカだけではない。一方の自由権規約(ICCPR)については中国が批准していない。こうして大国の権益がぶつかり合う状況になっている。サウジアラビアやマレーシア、ブータンに至っては両権利ともサインすらしていない(No Action)。

※などとクドクド書いても「やっぱり具体性あるじゃん。世界人権宣言を信じて大丈夫じゃん」という人がいるかも知れない。しかし仮に相手国がいくら両条約に批准していたとしても制約はある。例えば日本であれば、国内法との差異があることからいくつかの点について(他国から見れば差異に思えるが我々日本人はそれを当たり前のものとして受け入れている事項を)留保あるいは解釈宣言を行っている。
これら国際的な条約及び対象国での批准状況、さらに実態としていかなる行政組織で行使・担保されるのかを難民が解釈し、自分のどういった権利が保証され、あるいは保証されないのかを理解し、主張し行使できるのだろうか。もしそれを逐一理解し、根拠法(条例)を元にして権利を主張・行使できるほどの知識があるならば、わざわざ難民にならずとも国際的にも活躍できるポテンシャルを持っている人物だと言えるだろう。ただのいち民間人が、他国政府にこれらを盾にして交渉するというのは、やはりハードルが相当高いのだと言わざるを得ない。つまり、悲しいことに世界人権宣言は現在でも絵に描いた餅であって、それを実効化させるには並大抵の努力では済まない(あるいはその国のそうした組織に頼る必要がある。当然多くの国ではそれに反対する人も多い)ということであって、広く開かれた誰にでも与えられ行使できる権利とはなっていないのだ。だからこそ小松左京は「日本以外の国々に、何も求めるな、何も要求するな」「求めて得られなければ──無理に要求してはならない。生きるにしても、自力で生きなければならない」と福原教授に述べさせているのだ。

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