今後、日本は様々な場面で「小規模分散」を考えないといけなくなると思います。
それは例えば、発電であったり、農業であったり、消費であったりするでしょう。
2011年の3月、日本は決してあってはならないことを起こしてしまいました。
もう日本では喉元すぎればで忘れつつありますが、原子力安全神話が崩壊した瞬間でもあり、またコスト重視だけで一点集中する施策が否定された瞬間でもあったように思います。
原子力発電というものは、曰く「発電コストが一番安い」というのが定説となっていました。
しかしその反面、一度事故を起こしてしまうとその復旧に途方もない労力とコスト、時間をかけても処分の道すら見えてこないという、まさに人智を超えたパンドラの箱であることを再認識した時でもありました。
未だに福島第一発電所の設備内に入り込めず、最大の難所である炉の中には状況把握のためのロボットですら送り込めていません。
数年後に解体が始まったとしても、その膨大な汚染瓦礫の処分方法はおろか、処分を待つまでの間貯蔵しておく場所すら決められないでいるのです。
こうして原子力という一見低コストで一番効率がよく見えた発電方法は、実は巨大な負のコストを積み上げながら使っていることに気付かされた今、私たちはもっと小規模でもいいから負のコストを積み上げない方法で電力を確保する道の確保を必要とするようになったといえます。
その解のひとつが太陽光発電であり、地熱発電でしょう。
太陽光発電だけで日本全体の発電量を賄うことは到底不可能ということはわかっています。他の自然エネルギー発電についても同様で、「原子力の代替にはならない」という無茶苦茶な理由で開発は先延ばしにされてきました。
当然すぐに原子力発電量のすべてを代替させることはできませんが、日本各地で自然エネルギー発電を広げていけば、その地域での電力消費量に占める自然エネルギー発電の供給量は増えていき、やがてはかなりの部分をまかなえるようになっていくことも決して夢ではないでしょう。
こうした方向性は最近農業方面で叫ばれている「地産地消」の考え方に近いといえます。
流通と供給とを大規模かつ集中的に行うのではなく、それぞれの地域内で需要と供給が完結するような場面を少しづつでも増やしていくことで、結果として低コストに消費構造に少しづつ変えていくことができます。
こうした「地産地消」を目的とした農業法人への(小さい地域での)集中化を行うことで、これまでペイしなかった種類の農作物を育成することも可能でしょうし、また水耕栽培のように土壌や人手を介さない生産方式も生まれつつあります。
これをさらに一歩進めた「自産自消」という考え方も出てきています。つまり、自分で食べるものは自分でつくろうという考え方です。
ここで電力や農業を離れてひろく世の中を見渡すと、近年、趣味や嗜好のジャンルでもベストセラーというものがなくなっていることに気付かされます。
年末になると発表される十大事件や流行語においても、「そうだよね」と同意できる人の数がどんどん減ってきているように感じます。日本国民全体が、同じものを見て同じことを考えて同じ夢を見て同じ行動をするという時代は、明確に終わりつつあるのでしょう。むしろ若い人々の間では、「人と違う価値観をもつこと」を評価するという風潮が広まっているようにすら感じます。
すべてを国に頼って、大規模かつ集中的に流通してもらうのではなく、それぞれの分野ごとに大なり小なり「まぁまぁ効率的じゃないか」と思える単位でまとまり、その単位ごとに必要な物を必要なだけ作り自分たちで消費するという生活スタイルが今後大きく伸びていくのかもしれません。クラウドファンディングという投資方法もまさにそれをささえる仕組みのひとつでしょう。
ここまで書くと気づいた人もいるでしょうが、何の事はない数年前に流行った「ロングテイル」の波が、ありとあらゆるジャンルに浸透しつつあるだけなのです。
特に日本においては、巨大な共通したパイというものは失われつつあり、むしろ小規模で分散した需給関係とそれを支える効率的な流通こそが今後必要とされるのではないかと強く感じます。