今さらですが「天気の子」を見てきました。
以下ちょっとネガティブな感想を書き連ねておきます。
そういう意見は見たくないという方は、ここでこのページを閉じることをオススメしておきます。また一度しか見ていないため、勘違い・見逃し・思い込みなどもあるかと思います。そういう意味でのご批判は甘んじて受けます。
1.銃と手錠
銃と手錠が出てくるのですが、いずれも特に大きな意味を持つものではなく、あまり効果的な使い方が出来ていないなと感じました。
銃については、一度目に使われたあとその場に放置され、なぜか二度目には止めようとする須賀氏と警察を撃退する道具として使われます。しかしそもそも初出で銃を撃たなければ警察に追われることはなく、ヤンキー?から逃がす手段としても必然性を感じませんでした。アニメなんだからなんとでも出来たはずです。
また警察に囲まれた際に掛けられる手錠についても、片手にぶらさがったままになったために何か意味があるのかと思えば、最後までそれほどの意味がなく肩透かしでした。
銃と手錠はこの現実世界での社会規範や縛り付けるものの象徴なんでしょうが、中途半端に入手できたり抜け出せたりするのが、どうも使われ方のヒネリが少ないなと思いました。
2.須賀と夏美
主人公を「少年」と呼びつけ、「大人」を象徴する存在として登場してくる彼も、怪しい雑誌の外注ライターとして細々と生活を営んでおり、とても社会に馴染んでいるようには思えませんでした。
その彼が、なぜ一度は主人公を止めようとするのかについて、理解に苦しむところでした。出会いの場面で大きな水玉?の洗礼を浴びているのですから、むしろそこの繋がりを強調したほうがいいのかもと素人考えながら思いました。
結局須賀は考えを一変させ、取り押さえられかけた主人公を助けてヒロインの元へと行かせるのですが、その心理描写が少し雑かなと思ったところです。
同様に、後に須賀の姪であると判明する本田翼演じる魅力的なお姉さん須賀夏美もまた、世間を知った風な「大人」だけど味方な存在として登場します。しかし彼女と須賀が聴き込む重要な話(気象神社の住職の話)がヒロインに伝わるのは伝聞系であって直接的な描写がなく、しかもその場面はすんなり流れてしまうため印象が弱くなっています。
3.雲の生態系
特徴的な「サカナ」ですが、結局最後まで詳しい説明はなくいわゆる投げっぱなし状態です。
大きな積乱雲には湖ほどの水分が含まれており、そこに生態系があってもおかしくないと触れておきながら、その詳細は最後まで一向に語られることはありません。
なぜヒロインは「透明」になりかけたのか、完全に透明化してしまえばどうなるのか?雲の上の世界でヒロインに群がっていた「サカナ」は何をしようとしていたのか?サカナ以外に三度ほど現れた大きな水の塊は何を象徴していたのか?
そのあたりはまるっきり投げっぱなしで回収すらされません。龍っぽい存在が現れますが、どうもそれでもないらしい。主人公は雲の上でヒロインを見つけ、ただそこから連れ出しただけという雑さです。
4.晴れ女の宿命
晴れ女としての能力を酷使してしまったがために訪れるヒロインの宿命。
ただしこれは高尚な使命感などがあったわけではなく、バイトとしてお気楽に始めた結果にすぎません。
しかし彼女が人柱になったおかげで、セカイには晴れ間が訪れます。ここで主人公は、セカイ(東京周辺)がたとえおかしくなってしまってもヒロインを取り戻そうとしますが、その人柱と天候が関連するというつながりの描写が今ひとつ真実味を帯びてこないのはどうしてなんだろうと感じました。
そういう伝承や昔話があることは承知の上で、しかし物語は単独で成立するものでなければならないと思います。
5.廃ビルの持つ意味
ヒロインは、母が死んだ日?に病室から見つけた廃ビルを初めて訪れ、そこで心から「晴れ」を願ったことから晴れ女としての能力を開花させます。
この廃ビルはその後主人公との出会いの場となり、物語の後半では主人公がヒロインを雲の上へと追いかけるための「境界」として機能します。
しかしなぜそこなのか?という疑問はとくに提示されず、銃を放置した場所であって、さらには銃を使用しても人目につきにくいという以外の積極的な意味付けは見当たりません。
6.主人公の動機
最大の問題点がここではないかと思います。
主人公が島を出た動機は、後半で描かれる「光を追いかける」ためだという一応の説明らしきものが出てきます。しかしだからといって東京に出ていく意味がどうにも感じられず、しかも銃を使い警察から逃れてまで東京にしがみつく動機がどうにも弱いなと感じました。
しかもいくら保護観察処分だからといって、その後3年間島でおとなしくガマンできるんだから、狐が憑いたくらいの動機でしかないことがわかります。
雲の中からヒロインを救い出すための武器もなく、代償はセカイ(東京)が水に浸かること。時間を掛けて選び贈った指輪も、いともかんたんに落ちてきてしまう。
しかも、モノローグでは天気に左右されるといいながら、東京では市民たちがとくに困った風でもなく日常生活を送っている。あれだけ逆流していれば汚水も混じって公衆衛生面で大変じゃないかとか余計なことを考えてしまうのですが、じゃぶじゃぶ歩いて楽しんでいる風まであります。いっぽう主人公が逃げる時だけは都合よくJR線が工事中で電車が走行しておらず、主人公は延々と新宿まで駆け抜けます。
瀧くんのおばあちゃんも特に困った様子でもなく、マンションに引っ越ししてるだけで日常生活に困っているわけでもない。主人公が大きな決断をして取り戻したヒロインだけど、その代償は島での3年間の保護観察処分だけだったというオチ。
まとめ
いくつか気になる点を上げてみましたが、どうにもこうにもこの映画は観客への説明が相当意図的に行われておらず、それが効果的ではなくむしろ逆に観客を置いてきぼりにしていると感じました。
ちなみに同行者(うち2人は成年前で、「君の名は」に相当ハマってた時期がある)にも聞きましたが、それほど大差ない印象だったようです。話題作の次作だから見たけど、それ以上でもそれ以下でもない。並行上映されていたディズニー映画でも良かったかもレベル。
もちろん小説を読み込んだり、監督の発言などを読み込めば理解が深まるのだろうと思いますが、しかし前作「君の名は」ほどのフィーバー状態にはなりえないと思いました。
一言で言えば描写が説明的ではなく雑であり、独りよがりであるということです。
やはり物語の基本として、出てきたものは使われなければならないし、その意味は必要最低限の範囲については説明されなければならないと改めて感じます。
観客が謎に思った部分がどこかに記述されていて、それを確かめるために再び足を運ばせることができればそれは成功につながることは前作でも証明されています。物語の造り手として、そうした使い古された常套手段を使うのに心理的障壁があることはもちろん理解は出来ます。しかしあまりに小細工を入れすぎると観客はついてこなくなります。
また新海監督の魅力のひとつである圧倒的にきれいな背景描写ですが、それは今回も存分に発揮されています。特にグランドエスケープがかかる部分については、RADWIMPSの素晴らしい楽曲と相まって、鳥肌が立つほどの感動を禁じえませんでした。
しかし皮肉なことに、この映画が上映される前に流れていた他の映画の予告編でも、同様にきれいな場面が登場していました。きれいな背景描写は素人意見ながら技術論(とコストと根性?)で一定程度は向上できるものであって、結局大事なものはシナリオや演技するキャラクターの心情であったりするのです。それら映像と音楽と心情が相まったときにはじめて、観客は激しく映画に引き込まれるのだと思います。
いかんせん残念ながら、今作「天気の子」では、シナリオの欠陥からそれが効果的ではなく、悪く言えば「プロモーションムービー」的な側面が強く出てしまっているように感じました。
簡潔にまとめると今作「天気の子」は、それほどの動機もなくふらっと東京に出てきた割にそこに固執する主人公と、よくわからないけど弟と2人暮らししているヒロインの関係性がセカイを変えてしまう(東京を水没させる)ほどの重大事であるという、いわゆる「セカイ系」アニメそのものでしかありません。
むしろ須賀や夏美のほうが感情移入しやすいという一面まであります。須賀が主人公だという意見をどこかで見ましたが、そう外してはいないと感じました。
もちろん監督自身もそんなことはわかっており、劇中でも須賀が主人公に対して皮肉ることで「セカイ系」という指摘をやんわり否定してみせますが、しかし結局は、きれいな背景に支えられたセカイ系アニメの一本に過ぎないというのが現時点での私の個人的な評価です。
「君の名は」以前の新海監督の地そのものが出ていると言えばそうなんでしょうし、川村Pも前作のメガヒットの手前、そこまで駄目だしできなかったという側面もあるのかもしれません。もう一作くらいは「君の名は」の神通力で数十億くらいの興行収入を獲得するのかもしれませんが、「そこまで」の可能性もあるかもと思ってしまいました。