今年もまた、ノーベル賞受賞者発表とともに「日本人」と「日系人」の議論が行われています。
ここでもう一度整理しておきましょう。
日本人とは?
「日本人」とは何でしょうか?
日本人とは日本国籍を有する人です。
日本では、国籍法定めにより多重国籍を認めていません。何らかの理由により日本国籍以外の国政旗を持つ人は、14条1項にしたがっていずれかの国籍を選択する必要があります。
期限までに国籍選択を行わない場合、日本国籍を失うこともあります。
法務省:国籍の選択について
http://www.moj.go.jp/MINJI/minji06.html
「期限」についてはややこしいところもありますが、若い人に限れば22歳に達するまでに選択を行う必要があるとされています。
つまり日本においては、「日本人」=「日本国籍を有する人」=「他国国籍を持たない人」になります。
ちなみに日本に住んでいるが日本国籍を持たない人は、在日外国人ということになります。
日系人とは?
日系人とは、外国の国籍または永住権を取得した日本人の血を引く人のことです。
日系人には、日本から移住した「一世」をはじめとして、その一世を親として現地で生まれた「二世」、孫世代の「三世」などが含まれます。
日本人の感覚からすると、同じ「日本人」であるかのように感じますが、国籍が違う以上、日系人一世となります。
カズオ・イシグロさんの場合
今年ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロさんの場合、両親ともに日本人で、ご本人も長崎で生まれた日本人でした。※過去形です。
しかし5歳のころに両親とともにイギリスへと渡り、成人後にイギリス国籍を取得しています。この時点で日本人ではなくなり、日系イギリス人一世となったのです。※この時点で日本国籍を喪失したことになります。
ノーベル財団の考え方
しかしノーベル財団のノーベル賞受賞者のページを見ると、カズオ・イシグロさんは「日本」の項目で紹介されています。どういうことでしょうか?
Nobel Laureates and Country of Birth
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/lists/countries.html
ノーベル財団では、創設者アルフレッド・ノーベルの遺志として「ノーベル賞の授与にあたって候補者の国籍は考慮しない、最もふさわしい人が賞を受ける」としています。
その上で、国籍に関する情報を決めるのは難しいことがしばしばある」として、国籍ではなく出生地に基づいて受賞者のリストを掲載しています。
カズオ・イシグロさんの場合、上で書いたように長崎生まれなので、「Country of Birth(出生地)」の一覧上は「日本」に分類されています。
文部科学省の考え方
いっぽう日本国内で受賞者の取りまとめをしているのは文部科学省と文化庁となっています。
特集 ノーベル賞受賞を生み出した背景~これからも我が国からノーベル賞受賞者を輩出するために~:文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa201601/detail/1374199.htm
ここでは、カズオ・イシグロさんは「日本人受賞者ではない」としています。日本人=日本国籍なのでこうなります。
ただしこれに該当しない方が何人もいます。
たとえば数年前に青色LEDの開発で物理学賞を受賞した中村修二さんの場合、受賞当時はアメリカ国籍を取得していました。※自動的に日本国籍を喪失しており、厳密には日系アメリカ人になります。
ノーベル財団ではルール通り「日本」に掲載していますが、しかしなぜか文部科学省においても、中村さんを「日本人受賞者」としてカウントしています。
これは、文部科学省が「一義的には国籍で判断し、主たる実績をあげた場所がどこかが基準になる」というルールでカウントしているためです。つまりノーベル財団の出生国による分類とはズレてくるのです。
(注3)日本人以外は、ノーベル財団が発表している受賞時の国籍(二重国籍者は出生国)でカウントし、それらが不明な場合等は、受賞時の主な活動拠点国でカウントしている。
今回のカズオ・イシグロさんについては、5歳でイギリスに渡ってイギリス国籍を取得し、日常会話も英語で、そのキャリアもすべてイギリスでのものですので文科省基準で言う「日本人受賞者ではない」というのも当然といえば当然ということになります。
日本民族
ただし、カズオ・イシグロさんご本人は、次のような発言をしています。
川端康成さんや大江健三郎さんに続く作家になれることを喜ばしく思います。ノーベル賞といえば村上春樹さんの名前が浮かび、申し訳ない気持ちになります。
言うまでもなく、川端康成および大江健三郎の両氏は日本人ノーベル文学賞の受賞者です。この2人に続いたという気持ちが、カズオ・イシグロさんにもあるということです。
さらに、自らのアイデンティティについても、
自分をイギリスの作家や日本の作家と意識したことはありません。作家は一人孤独に作品に向き合うものだからです。
もちろん私は日本からもイギリスからも影響を受けてきましたから、自分自身を国際的な作家と考えたいです。
日本の読者の皆さん、とりわけ日本の社会にはありがとうと伝えたいです。私がどのように書いて世界をどう見るかは、日本の文化の影響を受けていると思うからです。日本と日本人に非常に感謝しています。
また、カズオ・イシグロさんの読者も、イギリスで育ち英語で記述された彼の文学作品に、日本文化の影響を色濃く感じるところがあるようです。
ここには、国籍とは別の何かがあるように思います。
それこそが「日本民族」というものではないでしょうか。
毎年のように「日本人」「日系人」が問題になる点については、色々な考え方があるようです。
もちろんどこの国のどなたが受賞したとしても、それはそれで喜ばしいことなのです。国籍を問わず、その業績が世界に影響を与え貢献したと認められることほど、素晴らしいことはありません。その人がそれまでに費やした情熱と時間、それが見事に花開き人類に貢献することができたこと。それを素直に素晴らしいと感じることは、人間のごく当たり前の感情です。
しかし、(限定的であるとはいえ)日本文化を共有する人が受賞したことについては、ことさら身近に感じ、素直に嬉しいと感じるものですし、それでいいのではないかと思います。