責任だけが増大する管理職になりたがらない若者

東洋経済オンラインに「20~30代が出世を望まなくなってきた本質」という記事が載っています。

20~30代が出世を望まなくなってきた本質 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
http://toyokeizai.net/articles/-/199466

結局、今の若者にとって「管理職」であったり、部長や社長など人の上に立つ役職がかつてほど魅力的に見えないという点に尽きるのだと思います。

そしてその見方は実に正しいといえます。

社会意識の変化

かつての管理職といえば、上になればなるほど大きな社内敵権限を持ち、それに伴うおこぼれを個人的に享受することが可能でした。小さなところでは部下を意のままに操ったり、飲み会で若い女子社員を侍らせたり、取引先との交渉で接待を受けたりといったところから、自由に決裁可能な予算を持てたりというものまで広範囲に、「自分が出世した」「偉くなった」という実感を持てるものだったのです。ましてや大企業の重役ともなれば、専用の個室や秘書まで与えられ、送迎車まで付けられている企業までありました。

しかしそれらは、現代ではほとんどすべてが「パワハラ」や「セクハラ」などのワードで代表されるように「ダメなもの」「許されないもの」と社会的に認識され、多くの場合、罰則まで伴うようなものへと変化してしまいました。それどころか社内の飲み会すら「それは義務ですか?」「残業代は出ますか?」などと参加を拒否する若手が年々増えていると聞きます。

会計制度の変革とともに決裁権なども正規な手続きを経ないものなど許されなくなったのは言うまでもありませんし、個室どころかフリーアドレス制のオフィスで一般社員と肩を並べて仕事をする社長こそ歓迎される世の中となっています。

現代の管理職

こうして管理職という役割は、明確な結果責任を伴うものとなり、自らを厳しく律した上で、かつ部下からも嫌われることなく最大の成果を上げさせるという、いわば曲芸のような手腕が問われる存在へと変化しています。

そこに旨味というものがあるとすれば、それは若手よりはやや多めの基本給や管理職手当に残っているだけです。そこまで努力したとしても、生涯賃金として獲得できる額にそれに見合うほどのリターンがあるのかと問われれば明確にあると答えられる人は少ないでしょう。

その代償として、部下の誰よりも働き、部下への気遣いを忘れずに、かつ週末には平日疎かにした分までも家族サービスを忘れないという多大な自己犠牲の上に成り立つ、実に危ういものです。

若者から見た管理職

こうした「管理職」という存在が、現代のグローバルな世の中を当然のものとして育ってきた若者にとって、ちっとも魅力的でなく映ることは当然でしょう。要するに無理に無理を重ねてギリギリ成り立つ存在なわけで、家事や育児に参加することが求められる現代の若者からすれば、到底目指せない存在でもあります。

彼らにとって会社とは所得を得るための手段に過ぎず、それに対して滅私奉公している管理職は社会の犠牲者としてしか映っておらず、もっといえば「滑稽な存在」でしかないのです。なんのためにそこまで頑張るのか理解されることはないでしょう。ですから「管理職になりたくない」と答えるのももっともなことです。多少の金銭を得るためにあくせく働くよりも、若いうちから人生を謳歌したいと考えるのはもっともなことだといえます。

要するに管理職というロールモデルは現代社会において破綻しているのです。だから若者に管理職を目指したいかと問うたところでまともな答えが返ってくるわけもないのです。

どうするべきか

これをどうにかできるのかといえば、どうにもできないでしょう。

これらは国際的に見て低い生産性を精神的な頑張りと長時間労働でのみ補ってきた日本社会の抱える根源的なものであって、すぐに変革できるようなものでもありません。個々人の人生における目的・目標が多様化し働き方が大きく変革する中、それらを管理する手法すら確立できておらず、社会の要請などで増加するテレワークやパートタイムワーカーなどで構成されるメンバーを管理・評価・育成する手段もまったく見えてきません。しかもこれらの解決についていわゆる中間管理職個々人に押し付ける構造は変わりそうもありません。

結局、日本人には現代社会に適応できる会社組織を構築する能力が欠けているということだろうと思います。それは日本語というあいまいな言語(つまり阿吽の関係)でビジネスを行ってきた弊害とも言えるでしょうし、ましてや異文化で育った移民を組織内で戦力化できるレベルではないことは子供でも理解できます。もし対応できたとしてもそれはマニュアル化可能なサービス業や、工場のライン作業などごく一部に限られるでしょう。

短期的にやるとすれば桁違いの報酬で優秀な人材を釣ることでしょうが、それには欧米や中国などで行われているように会社側に実質的な人員整理権(要するに一定の業績を残せない人間のクビをガンガン切る権限)を与えることなどが必要ですが、現在の日本社会ではこれは許されておらず、導入できるまでにおそらく十年以上かかるのではないかと思われます。

もっともこうした制度を導入したところで、年々厳しくなっているビジネス社会で業績を上げていくためには会社全体が優秀な社員で構成される必要があるため、すべての会社が生き残れるわけではないことは明白です。

グローバルに活躍できるほどの優秀な若手はどんどんそういった海外企業に吸い取られ、しがらみに囚われる国内企業はその残りの人材を引き受けるしか道は残されてないのです。そうしている間に日本は国際社会でどんどん後退していくことでしょうが、それも仕方ないでしょう。

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