小池騒動の真相

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世間を騒がせた2017年10月の小池騒動の真相についてまとめてみましょう。

〔政界進出・日本新党→新進党→自由党〕
・小池氏は、ワールドビジネスサテライトのメインキャスターだった平成4年(1992年)に細川護熙の誘いを受けて参議院選挙に出馬、日本新党に参加した。翌年には衆議院に鞍替え立候補して当選。細川内閣が誕生し総務政務次官に就任するが、これは1年足らずで崩壊した。
・1994年には新進党の結党に参加して新進党代表となった小沢一郎の側近となり、1997年の新進党解党後も小沢一郎率いる自由党に参加した。1999年自自連立に伴う小渕第2次改造内閣の発足で経済企画政務次官となり、第1次森内閣まで務めた。2000年の自由党分裂では小沢と決別して保守党に参加。
〔自由民主党〕
・2002年には保守党を離れて自由民主党へ入党。2003年の第1次小泉第2次改造内閣で環境大臣として初入閣。第2次小泉改造内閣より内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)を兼任。環境大臣は第3次小泉改造内閣まで務めた。2008年には自民党総裁選に女性として初立候補(麻生太郎に負ける)。自民党の下野期間を経て、2012年の自民党総裁選で安倍氏対抗の石破氏を応援し、その後は冷や飯を食らうことになる。
〔都知事・希望の党〕
・そして芽がないと見たのか、2016年には東京都知事選挙に立候補し当選。女性初の東京都知事と鳴った。同年9月には「都民ファーストの会」が発足。翌年には地域政党化する。自身が主催する「希望の塾」の塾生などを中心に都議会の過半数を占めるが、自身は党代表を辞任する。
・さらに2017年には自身が代表である新党「希望の党」の結成を発表する。そして前原代表を選出した民進党との合流が発表される。以下はこの民進党との合流時の騒動をまとめたものである。別項でまとめるように、小池自身の「排除」発言で急激に勢いを失い、立憲民主党の結党、2017年の粗選挙を経て国民民主党の分離結党を経て政党要件を満たさなくなり、希望の党は2021年解党された。

「リセットします」発言と壊れた携帯電話

国民の多くが驚いたのは、小池氏のこの発言でした。

それまで小池氏が実質的に率いる小池新党が国政に参入することはもはや公然のこととして語られていました。しかし小池氏は代表就任すらせず、若狭氏か合流した細野氏のいずれかが代表になると目されていました。

9月25日世間の注目は、上野動物園のパンダの命名ニュースと、夕方に予定される安倍総理大臣の解散表明会見に集まっていました。そこで飛び出したのが、小池氏による「国政に関する記者会見」ニュースで、ここで例の「リセット」発言が飛び出します。

それまで小池氏側近の若狭氏と、少し前に民進党を飛び出し新党立ち上げに参加していた細野氏の2名が中心となって新党立ち上げの準備を行っていることが伝えられていましたが、小池氏は都政に注力し代表就任も行わないという見方が中心だったのです。

この発言により、平成29年の衆議院選挙の耳目は一気に小池氏と、小池氏が代表となって立ち上げる「希望の党」に集まることとなりました。

この時に国民の注目を集めたのは、リセットされてハシゴを外されたかに見えた若狭氏の「わたし実は携帯電話が壊れてまして…」発言でした。この日には事前準備が行われていたことを伺わせる報道は少なく、小池氏が側近を差し置いて突如代表となるサプライズニュースと受け止められていたためです。

だからこそ「小池氏が記者会見を開くことをいつ知ったのか?」という問いは、ごくごく自然なものだったのですが、若狭氏はこれに対して「わたし実は携帯電話が壊れてまして…」「(知ったのは)少なくとも今日ですね」と答えてしまいます。あの囲み取材映像を見て、有権者の多くは「なんとも頼りない」印象を抱いたでしょう。

この発言について、今日(10月24日)のTBS系列ひるおび出演で若狭氏が話した内容は次のようなものでした。

当日は携帯電話のメール送受信が不調で、ソフトバンクのサポートに電話していた。「重要な電話が入るかもしれないから早くしてくれ」とサポートに急かしたが、時間がかかってしまい、結果的にその間に小池氏からのメールが届いていた。

その後、直接電話を戴き、代表就任と会見を行うことについて知った。

結果として当日知らされた事実は変わりませんが、あの会見映像を見た多くの人が「最側近であるはずの若狭氏でさえハシゴを外された。希望の党は大丈夫なのか?」と感じた印象とは大きく乖離していたことになります。

結局若狭氏は、自分の言葉がマスコミを通じて有権者にどう伝わるかという視点が非常に薄かったいうほかありません。

いずれにしろ、この囲み取材映像も希望の党失速に大きな影響を与えたことは確かでした。

小池氏の代表就任と首班氏名

衆議院選挙を行うからには、その後に招集される国会において行われる「首班氏名」はセットで考えることが常識となっており、政権交代をメインテーマに設定したマスコミを中心に、「希望の党」は首班氏名で誰を推すのか?は話題になりました。

これは小池氏自身が9月25日の結党会見において「これは政権選択選挙になる」と述べたことからもメインテーマとして取り上げられます。

当の小池氏は、すぐに自らは出馬せず、「首班氏名については公明党の山口那津男代表がいいのではないか?」と発言していましたが、これは最初から(東京都政での協力関係を継続したいがための)攪乱作戦と見られ、真意ではないとされていました。

これについて若狭氏は、都知事職をわずか1年で投げ出すことは政治家にとって政治生命の危機になることから、日刊スポーツへの取材に対して次のように答えています。

100%出馬はないと知っていた。しかし、周りの期待感だけがふくらんだ。他の人は知らないが、私は知っていたから。公示直前に期待が一気にしぼむより、早めにクールダウンさせる必要があった。

若狭氏心境激白、小池氏「次の次」発言は戦略だった - 社会 : 日刊スポーツ
第48回衆院選は23日、全465議席が確定した。自民党は、公明党とともに定数の3分の2となる310議席を確保する圧勝だが、実態は、野党分裂による“棚ぼた勝利… - 日刊スポーツ新聞社のニュースサイト、ニッカンスポーツ・コム(nikkansp...

世間では小池氏の国政進出を期待する日々大きくなっており、いざ国政進出しないことが決定した場合、希望の党への期待感が一気にしぼむだろうことは読めていたため、あえて「次の次」発言をしたといいます。

ひるおびでも次のような趣旨の発言をしています。

私は最初から今回の選挙で政権交代まで行くと考えていなかった。次の次の選挙くらいで政権交代が可能な議席数になればと考えていた。

※次の次とは、今回の平成29年衆院選の「次の衆院選」のこと。

マスコミがあれほど煽ってみせた小池氏の国政進出とそのための代表就任は、最初からなかったのです。

しかしそれを言ってしまえば世間の興味は一気に希望の党から離れてしまい、泡沫政党に陥ってしまう危機が明らかだったため、引き伸ばし作戦に出たというのです。

結論としてはこの戦略自体は(マスコミは怒っていますが)「部分的には」成功したと言えるでしょう。公示日までの間、マスコミは小池氏の国政進出について毎日取り上げることとなり、それがために希望の党は50議席をなんとか維持できたと見ることも出来ます。

なおこの発言は、敵対勢力である自民党には「今回は政権交代は目指さない」と受け取られ、後に相互協力を行う維新には「(政治家として)ちょっと未熟なところがあるんじゃないか」と切って捨てたような反応が示されました。

しかしそもそも、僅かな期間に野合で成立した政党で政権交代ができるなどという夢想は、一部のマスコミしか抱いておらず、むしろ有権者の多くは覚めた目で見ていたのですが、当のマスコミは最後まで自分の描いた「政権交代選挙」という夢を小池氏に操られ続けたのです。

なお自民党が政権交代(政権選択)の看板を掲げるのはそれが戦略的に圧倒的に有利だからです。政権交代(政権選択)を掲げることで野党代表は”総理大臣としての資質”を見極められることになりますが、それに耐えうる人などすぐに見つかるわけがないのです。

希望の党であれば素人同然の若狭氏など問題外であり、細野氏でさえ頼りない印象を与えてしまいます。ましてや実際に組閣することまで考えると閣僚候補などまったく見当たりません。ところが自民党であれば、(真に素質があるかどうかは別として)マスコミ受けが良い石破氏に加え、女性からの圧倒的な人気を誇る小泉進次郎氏まで控えているのですから。「政権交代(政権選択)」というテーマになれば、次の次まで総理候補が居るという自民党の層の厚さのみが目立ってしまうのが現状です。

民進党との合流の真意

世間では、希望の党と民進党との合流について、前原氏と小池氏の話し合いで、「若狭氏か細野氏が代表で合流に興味あるか?」と問うたところ、前原氏は「それは興味がない」と答え、小池氏が「じゃあわたしが代表になるなら合流に興味ある?」という問いに、「それは興味がある」と答え、これで実質的に合流が決まったたということになっています。

しかしこれについても、若狭氏は、「前原氏発表(28日)の数日前」に民進党のある議員と合流について話をしていたと明かしています。この時点ですでにどれくらいの人数が合流しそうかなどの具体的な話もしていたということです。

いっぽう前原氏は、9月21日に行われた林真理子氏との対談で「国政新党を結成される細野君や小池(百合子)さんが今後どうされるのか、話し合いを続けていきたい」と発言しています。この時期、小池氏の代表就任は(側近若狭氏含め)毛ほども知られておらず、その動向に注目していたということでしょう。

しかし、誰の頭にもすぐ浮かぶように、あれほど国会で改憲に反対してきた民進党が「小池氏の掲げる改憲構想」とどう折り合いを付けるつもりなのか?という疑問は林真理子氏も思ったようです。

この間の決意の過程についてはまだ明かされていませんが、

  • 前原氏が騙されたのか?
  • 小池氏が騙し勝ったのか?

という点については、今後も注目が集まりそうです。

結局この前原氏の決断と強引な手法は、民進党内のゴタゴタと分裂を予感させるものとなり、さらに小池氏の「排除いたします」発言により、「希望の党」及び「民進党」に対して決定的なダメージを与えてしまうこととなりました。

合流を決めた時期

たとえば松原議員が民進党を離党して希望の党の創立メンバーとなったのが25日、この時、合流するなんて話は当然知らなかった。だから(希望の党に)飛び込んだと話しています。

これは大塚議員(参院民進党)も同様で聞いていなかったといいます。

さらに大塚議員は気になることを言っています。9月24日前原代表が議員数人と夜遅くまで議論をしていたと言うのです。恐らくこのときに合流の話を数名のメンバーに話していたものと思われます。

そして翌26日深夜に小池・前原・神津連合会長の三者会談が行われます。極秘会談と言いながら、この動きはすぐさま大きく報道されました。

この三者会談において、民進党議員の希望の党への合流が話し合われたのは間違いなく、28日の前原氏の合流宣言へと動いていったのです。

 

 

 

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