日本古来のハートマーク「猪目」について

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日本古来のハートマークとされる「猪目」について調べてみました。

 

西欧起源のハートマークは、明治後に日本に伝来したもので、主にトランプのハートを示す記号として認知されていました。

しかし神社仏閣などに行くと、それより以前に建てられた建築物であるにも関わらずハートマークが刻まれているのを確認できます。

これはネットでも「猪目(いのめ)」として紹介されています。

※実際の猪目懸魚の形状については、「猪目懸魚とは – コトバンク」のイラストなどを参照してください。

猪目の由来

さて、ネットで調べてみると「猪目はイノシシの目だ」と書かれていることが多く、多くの人々は??と思ったのではないでしょうか。

野生のイノシシの目は、どう見てもハートマークには見えず、サイトによっては目尻をハートの先端に見立てて目の周囲のくぼみを無理やりハート型に解釈したものまであるのですが、これは「猪目」の由来を知らない人が文字通りに解釈してしまったものであるようです。

本来の猪目

では猪目(猪目懸魚)とは何なのでしょうか?

これは日本古来の建築である「切妻屋根」や「入母屋造りの屋根」において、屋根の両端につける破風板の一部の飾り板(懸魚)に使われた文様の一種です。

屋根の両端は瓦で覆われないために雨風を受けやすく、保護する必要があり、そこに設置するものを破風板(はふいた)と呼んでいます。その破風板に「飾り板」を付け意匠を彫り込むことによって建物の品位を高める工夫をしてきたのです。

この飾り板を「懸魚(げぎょ、けぎょ)」といい、本来は魚の形をしていたようなのです。

つまり火災に弱い木造建築を、水に縁の深い魚によって守ろうとしたわけですね。似たようなものに瓦屋根の両端につける「鯱(しゃちほこ)」や「鴟尾(しび)」があり、いずれも魚類を表し、その霊力によって火災から守ることを祈念したわけです。

こうした飾り板のルーツとされるものが中国の雲南省落水郷のナシ族の住居などに残っているといい、まさに魚そのものを示す文様となっています。(もしかすると古来中国では本物の魚を吊るすことで防火を祈念することがあったのかもしれません。)

また教王護国寺(東寺、京都市南区九条町)の慶賀門にも魚の下半身(胴より尾にかけて)を示す飾り板がついていることは有名です。焼失してしまっていますが、四天王寺金堂にも同様の懸魚があったことがわかっています。

この懸魚は、後々、様々な意匠を凝らして彫り込まれるようになり発展していきます。現在では大きく4種類に分類されています。

  • 野菜の蕪(かぶら)のような形をした蔐(かぶら)懸魚
  • 蔐懸魚を三つ組み合わせた三花(みつばな)懸魚
  • 猪目と呼ぶハート形のくりぬきが付いた猪目(いのめ)懸魚
  • 六角形の簡単な形をした梅鉢(うめばち)懸魚

今回のテーマの猪目懸魚は、この3番目のものになります。

 

国宝姫路城を修復した鹿島建設のホームページには、この懸魚に関するイラスト入りでわかりやすい説明があります。

Photo Gallery | 姫路城大天守 保存修理工事 | 鹿島建設株式会社
https://www.kajima.co.jp/tech/himeji_castle/photo_gallery/gegyo-j.html

様々な形状の懸魚。鹿島建設のホームページより

 

本来の猪目の意味とは

ではこの猪目懸魚とはどういう文様なのでしょうか。

本来の懸魚に丸みを帯びた「ひれ」がついたものがあり、しかもひれを含めた形が切妻屋根の山形の形状に合わせて逆三角形の形(つまりハートに近い形)になることから、懸魚全体が逆三角形に渦巻いたものになります。※上の鹿島建設のイラストの梅鉢懸魚以外(蕪・三花・兎毛通)の懸魚の形を参照してください。

この逆三角形に渦巻いた懸魚を「正面から見たイノシシの顔」に見立て、両目に当たる位置にハートの文様を彫り込んだものが猪目懸魚となります。あるいはこのような形状になったものに対して、まるでイノシシのようだということで「猪目」と呼ばれるようになったのでしょう。

なぜ穴が丸などではなくハートマークになったのかについてはよくわかりませんが、逆三角形の外形に合わせてその陰刻としてハートマークになったのではないかと思われます。蔐(かぶら)懸魚などにおいても、屋根からぶら下がっている箇所を除くとハートに近い形状をしていることがわかります。

いずれにしろ、日本が欧米文化に触れる遥か以前に猪目懸魚があったことは間違いなく、それは中国由来の寺社仏閣などに起源を見ることができるということです。

 

 

オマケ「鴟尾」

瓦屋根の両端につける「鯱(しゃちほこ)」や「鴟尾(しび)」について、もう少し調べてみました。

鴟尾の「鴟」について調べると、「みみずく/ふくろう/とび/とんび/タカ科の鳥類などの意味をもつ漢字」などと出てきます。これは魚類ではないじゃないかと思うのですが、さらに調べると歴史的な経緯があることがわかりました。

中国での鴟尾の流行と日本への伝来

古代中国では、後漢時代(AD24-220)には屋根の大棟の両端を反らせることで威厳を表す装飾が行われた。その後、南北朝時代(AD439-589)には鴟尾へと変化したといいます。この頃の鴟尾はまさに鳥の羽根を模した形状が多かったのですが、これが唐代(AD618-690)に入ると変化し、現在見られる鴟尾の形状になります。

※なお鴟尾は「鴟吻(しふん)」とも呼ばれ、これは中国の伝説上の生物である竜が生んだ九匹の子であるという「竜生九子」のひとつ「螭吻(ちふん)」を指すともいいます。この螭吻も同様に、古代はハイタカの尾を持つとされましたが唐代には魚類形へと変化します。

これとは別に、仏教寺院では概ね両端に「鳳凰」を載せたものも見かけます。京都の平等院鳳凰堂などが有名です。これを省略したものが鴟尾だという説もあるようです。つまり鳳凰の持つ風の力により屋根(ひいては建物全体)を守ろうとしたということになるかと思われます。

この鴟尾は、瓦屋根などと一緒に仏教と同時に百済を経由して輸入されます。日本では平安時代を通じて鴟尾は用いられます。

鯱(しゃちほこ)の登場と流行

しかし戦国時代以降になるとこれが鯱(しゃちほこ)が登場し流行していきます。

この鯱(しゃちほこ)の源流をたどると、インドのマカラ(Makara)と呼ばれるインド神話に登場する怪魚にあります。

マカラはガンガー及びヴァルナの乗り物であるとされるもので、ゾウやワニのような尖った鼻を持ち、とぐろを巻いた尾を持つとされます。要するに水の神様だといえます。これが中国に伝わり、唐代末には鴟尾の形状が獣頭形や魚類形に変化したといいます。※つまり元来の形状としては鳳凰なのですが、この頃には水の神様の霊力も取り込まれていたということになります。

しかし日本では平安時代を通じて当初伝わった鴟尾のまま用いられます。その後鎌倉時代末になると、「しゃちほこ」が登場し、寺院の厨子の上部につけられるようになります。日本最古の鯱とされるものは、一乗山大法寺(長野県小県郡青木村)にある厨子についているもので、この厨子及び須弥壇は重要文化財に指定されています。

戦国時代になるとこの「しゃちほこ」が流行します。その起源は諸説あるようですが、織田信長だといいます。織田信長が建てさせた安土城には鯱があり、それがその後戦国武将により広められ、日本各地の城郭建築に見られる様になったといいます。現存最古の鯱は松江城のものだといいます。

ちなみに「鯱」という漢字は国字(いわゆる和製漢字)で、江戸時代には「魚虎」とも書かれていました。

大棟に載せる飾りが風の神様から水の神様へと変化しているのですが、いずれにしろ建築物を災害から守りたいという人々の願いから、空想上の生き物の霊力に頼ったのだということになるのでしょう。

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