「BANANA FISH」第一話の感想

昨日あたりから以前の記事にアクセスが増えていることもあり、いよいよ放送が始まった「BANANA FISH」第一話の感想を書いておきます。

いわゆる原作ファンというか原作厨に分類されるような感想だと思われますので、1話を見て「全然大丈夫!」「面白かった!」という感想を持った方は、ここでこのページから離脱することを強くおすすめします。
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昔、原作マンガを読んでいた「いちファン」の感想です。 舞台を”現代”のニューヨークに変更したのは、率直に言ってかなり問題ではないかと感...

第一印象

第一印象としては、何よりまずあの「BANANA FISH」の世界・キャラクターが動いている感動がありました。

多感な時期に原作を読み込み、アッシュ・リンクスという名前に当時限りない憧れを抱いた人間としては、脳内で動いていたアッシュたちが画面内で実際に動いているのを見ると、それだけで胸が一杯になるものがありました。

その反面、かつて脳内で動いていた絵と脳内で流れていた音声とのズレが、どうしても生じてしまい拭いきれませんでした。

ただ、これについては漫画自体を脳内で補完している部分も多く、また当時の感覚と大人になった現在のそれとでは大きく違っている部分があり、その「自分自身では認識できていない内なる差異」を改めて認識させられることへの不快感と言ったほうがいいのかも知れません。

アニメ化発表時に感じていた恐れがやはり現実的なものになったと感じる部分がいくつかありました。

現代のニューヨーク?

舞台を現代にする必要性はやはり感じませんでした。現代ニューヨークが必要な場面といえば、一番始めの自由の女神像のシーンやスキップを連れ去る街並みのシーンくらいじゃないかと思うのですがどうなんでしょうか。

これは後で述べる原作の忠実な再現も関係するのですが、ニューヨーク市警や酒場のシーンなど、原作から絵コンテを起こせそうな場面では、だいたい原作を元に描かれていたように思ったのですが、それが逆に現代ニューヨークとマッチしているのかどうか考えさせられました。

いわば悪い意味で1980年代のニューヨークと現代ニューヨークが、チグハグに混在してしまっていると感じました。

スマートフォン

さらにスマートフォンなど現代を感じさせるものが登場していましたが、これはやはり作品を縛る効果でしか無いと感じました。

アニメではない一般的なドラマ作品においてもスマートフォンは作品表現上の障害になることが多いと聞きますが、第一話でもそれと同様にさっそくスマートフォンをわざわざ車外に置き捨てたり、GPS追跡が切れるといった描写が出ていました。

※川などに水没させたほうがダメージとしては大きいですし、もし回収できたとしても精密電子機器であるため復旧はほぼ期待できません。その上アッシュがすぐにバイクで追跡しているのですから、NY市警がアッシュのスマホのGPSを追跡すれば…と思ってしまいますが、そちらも無効化するのでしょうか。もしかしたらアッシュはスマホをどこかに置いてきたのかも知れません。確認が漏れてました。

スマートフォンがあまりに便利なツールでありすぎるため、これをいかに使えなくするかという表現が現代のドラマや映画ではよく登場します。なにせ、いつでも会話できるのはもちろん、居場所も10mの単位でかつリアルタイム把握できてしまう上、インターネットが広がった現代ではかつての巨大コンピューターを軽く超える調査能力をも兼ね備えています。これではドラマチックな展開が行いづらくなるのは当然です。

ネタバレになってしまうので詳細は避けますが、今後物語が展開する上でもやはり互いに会話する手段がないために展開する場面もあります。そこでもやはりスマートフォンは、電源が入ってなかったり、バッテリー切れだったり、電波が入らなかったり、置き忘れたりなどなど無効化される描写が出てくると予想できます。

いちいち無効化描写するのであれば最初から出さなければいいと思うのですが、そこまで現代にこだわる必要性がやはりよく理解できませんでした。

アニメ表現規制の問題

タバコや酒、ヘルメット規制など、社会通念上あるいは表現規制上で許されない縛りが現在は多数出来ており、そのためBANANA FISHという作品の性格上かなりの部分に影響を及ぼしてしまっているように感じました。

もちろんこれらは、現代にアニメ化する以上は避けようがない問題であり、決して個々のアニメ作品の問題ではありません。

ただし、秒を争うスキップを追いかけるシーンですらストリートギャングのボスが行儀よくヘルメットをかぶるのはやはり違和感でしかなく、今後どう描いていくのかが心配になりました。

原作の再現度

これは多くの方が指摘しているように、かなり原作に忠実に脚本化していたのではないでしょうか。原作を読んでいた人にとっては、吉田秋生氏のカットを思い起こすくらい、かつての懐かしさがこみ上げるような再現度だったと思います。

ただ、原作の再現に力を入れすぎる余り、ほとんどのシーンがバタバタと忙しく入れ替わってしまい、それによってシーンごとのメリハリがなくなってしまっていたように感じたのは残念でした。これはテンポの良さとも言えますが、逆にすべてのシーンが軽く感じてしまうという危うさがあるように思います。

たとえばパパディノとアッシュの会話や、メンバーを銃でいたぶり追放するシーン、ディノに家探しされたのを察知する場面などがかなりテンポよく(余韻がなく)パパパっと切り替わってました。これらのシーンは、アッシュやその他登場人物の凄みを感じさせるのに非常に有効な場面ではないかと思われ、原作ではそれらの描写が後のアッシュの行動に説得力を持たせていたように感じます。

逆に、終盤のアッシュの射撃シーン、隣で人が銃殺され英二が怯えるシーンなどはかなり贅沢に秒数を使っており、全体的に間接的な表現ではなく直接的な表現で描いているためやや浅く感じた部分です。

またこれとは別に、細かいエピソードを入れるあまりカットされたシーンやセリフも多く、そのために原作を知らない人が作品の内容を充分に理解できたのか不安になりました。

ディノとの会話シーンが二度、もぐりの医者との会話も二度あるので、これを上手にまとめられればよかったのではないかと思いますが、そうすれば原作との乖離が広がるため悩ましい点ではあります。しかしアニメではこれらの場面展開が非常に早かったため、原作を読んでいないとどういう流れなのかが分かりづらかったのではないかと思います。

つまり、原作の再現度を上げるあまり登場人物の性格などを直截的に描写せざるを得ず、それは作品全体の軽さにつながるという懸念が一点、それとアニメだけを視聴する方への理解度への懸念がもう一点ということになります。

戦争の取扱い

最後はやはり戦争の取扱いです。BANANA FISHである以上、ここは避けられません。

原作ではベトナム帰還兵だったグリフィン(アッシュの兄)やマックスは、アニメではイラク戦争の帰還兵ということになっていました。

イラク戦争時点では、すでにPTSDなどの問題が広く認識されており、そのための対策も国防総省を中心に行われているように思います。

なぜグリフィンはそのサポートを受けられないのか(妙なクスリの関係?)、マックスを含め帰還兵がどういう問題を抱えているのか、その結果としての現在の生活をどう描写するのか?という不安がありますが、この点については今後説明されるシーンが出てくると思いますので、それを待ちたいと思います。

ただし、過去の記事で書いたように、グリフィンがイラク戦争での粗悪ドラッグの被害者というのでは、今後展開されるストーリーにおいてどうしても扱いが軽くなってしまう懸念を抑えられません。なぜグリフィンはそんなものに手を出したのか、それは公的なサポートを受けられないほどの危ない代物なのか、どうしてイラク戦争当時にそんなものが出回っていたのか。

「そういうケースも、あった」というのは簡単ですし、無かったという証明は難しいのですが、結局は作品を成立させるためのキーポイントであるため、その「説得力」が問題になると思います。当時社会問題となるほど蔓延していた問題であるからこそ説得力が増すのであって、それがレアケースに変わってしまうとその問題が矮小化してしまいかねないからです。

特殊なケースなのであれば、それは結局グリフィンの個人的な問題であって、現代アメリカ社会に潜む問題をえぐり出すという作品の凄みには繋がりません。ただ、現時点ではまだ描かれていない部分も多いため、ここまでにしておきたいと思います。

まとめ

いくつか細かな点を書いてきましたが、何れにしろ感想を書きたいと思うほどの内容、描写であったと思います。ただしそれが原作への感動の余韻故のものなのか、それともアニメ作品の良さ故なのかは、まだどちらとも言い切れません。

原作から30年を経てのアニメ化には相当の苦労があったと想像され、アニメ化スタッフの努力が忍ばれます。

今後の放送も楽しみに待ちたいと思います。

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