ここ数年、90年代の歌手たちの再デビューとやらが繰り返されています。
もともと歌唱力があり、歌詞の内容で幅広い層に強く共感を持たれた歌手ならばまだわからないではないのですが、そうではない人までが何を勘違いしたのか40歳を過ぎて再デビューする姿はいただけません。
彼・彼女たちが売れていたのは、その「時代の空気」にマッチングしていたからであって、それ以外の要素は少ないでしょう。それが「失われた20年」を経験し、また東日本大震災という未曾有の大災害から未だに回復しきれていない今の日本で、あの時代の空気が受けるとはとても思えません。
当然昔のように売れるわけがなく、たいていは年末の紅白歌合戦に出場した後は忘れされらるのですが、果たしてそれで再デビューにかけたプロモーション費用は回収できたのか、他人事ながら心配になってしまいます。
おまけに、地デジ化が終わった大画面テレビで、大写しに耐えうる外見を維持できているならまだしも、たいていの人はやはり20年間の月日を感じさせる容貌に変わっています。
それは人間が生き物である以上当然であり仕方ないのですが、日本のテレビというものは宣伝広告メディアという特性上、それを許さない風潮となっています。
そのきらびやかな世界に、ただ一人ぽつんと居場所を失った人が映っているのは残酷そのものです。
ポピュラーソングというものは特に、その時代の空気感を反映して多くの人の共感を生み出し、大ヒットするという過程を踏んできました。
90年代の空気感と今の時代の空気感はまったく異なります。
そこを理解せずにむやみやたらと昔の歌手を担ぎ出すことも、担ぎだされることもやめて欲しいですね。
またすでに国民の大多数がおなじ歌を聞くという時代でもなくなっています。
NHKを除けば5局しかないという選択の狭さも、いまや逆にメディア側の首を絞めることにつながっています。昔であれば視聴率30%超えは確実と思われるようなドラマでもいまでは20%にすら届かない。また90年代にデビューしていればトリプルミリオンも夢ではないいわゆるトップアイドルグループですら、年間50万枚を売るのが精一杯となっています。
現代は、各自が各自にあった音楽を世界中から自分の耳で探しだし、それを自分の時間で、自分ひとりで(イヤホン・ヘッドホンで)愉しむ時代へと変わってしまっています。
まさに「個の時代」ここに極まれりといえるでしょう。
それを、最低でも百万人、アベレージとして1千万人視聴が求められる大規模メディアとは合わなくなっているといえます。